杏奈「あっジュディス、元気だったって…あれ今日は黒衣の衣装じゃないの」
ジュディスの衣装はいつもの黒衣のドレープではなく、青の作業着に変わっていた。
ジュディス「ああ杏奈…これは転送システムチームの仕事着だ。
あとDr.・クロエ君・杏奈に前もって伝えておくが、彼等はゲノムの部屋には来ないから安心しろ」
彼等とはあの変な2人組?と杏奈は思い浮かぶが、それよりジュディスが自分に対して一瞬動揺したのは気のせいだろうか?
クロエ「本当に大丈夫ですかね、あの2人組?」
杏奈を守る形で、心配そうにジュデイスに聴くクロエ
ジュディス「大丈夫だ、とりあえずムツキ君が色々やらかしたので、年上として説教をした。
それにパスワード&ロックシステムに関しては、ハッキング対策として最新の物にアップデートしておいてある」
やらかした、ムツキ君、ハッキング?と杏奈だけは?マークだったが、クロエとDr.は理解できたようだ。
クロエ「先輩その事は…ゲノムの部屋の後に私から杏奈に簡潔に説明しておくとして…
それより杏奈、今日顔色悪いけど大丈夫?」
ジュディス・Dr.も不安そうに見ている。
杏奈「うんその…2人組を思い出して、でも私は大丈夫だから早くゲノムの部屋に向かおう。」
3人に心配かけたくないよね、杏奈は所持しているテディに言い聞かせながら、3人と共にゲノムの部屋に向かった。
Mrs.マリポサ「パスワードが失敗した為に、ゲノムの部屋からの転送はできないって…
“Leica”の通称は【ライカ】と送信したはず…あとこのゲーム・所持していた化粧道具一式も無い…」
助清は暗号パズルが解けずに荒れる、すっぴんの副支部長を遠くから呆れる形で見ていた。
助清「通称をずっと勘違いをしていたのか…あと素顔は地味だなやっぱり。
それにしてもこのレポート、瀬戸杏奈がこのラボに来れたのは何百回も繰り返された音の実験の副産物からだろう…」心の中で状況を見ながら、片割れのレポートを呆れながら読む助清。
副支部長指示のハッキングによって発生した、3秒のシステム遮断がNWoM側にも注意され、今は離れた場所で軟禁状態となっている助清とMrs.
助清「まあ副支部長の様子だけ観察できるし、通信は無視すればいいか。
今はしばしの休息として受け入れておこう。
ただDr.の家族と過去、瀬戸杏奈はサバイバルナイフ・薬をどうやって入手したかについての考察はしなくては…」
そう考えつつ、好物のミルクプリンを食べ、笑みを浮かべる助清であった。(編集済)
七色に輝く柔らかなネオンの明かりに照らし出され咲き誇る、無数のバラ達が織りなす宇宙空間。
杏奈はまるで、ここは果てしない銀河のようだと感じた。
1株1株のバラが、それぞれのゲノムの歴史を背負い、無数に瞬く銀河の星たちのように輝き佇む。
ジュディスはこれらのバラには1株1株ずつに全て名前が付けられていると語った。
「たとえばこれだ。何と言う名前だと思うか?」
少し高いところで頭を垂れていた、まるで林檎のような丸々とした花弁が愛くるしいバラは
本当に林檎のような深みのある臙脂色をしていた。
ジュディスがその花弁を撫でながら答える。
「これは“Black belt ORIGAMI”だ。
このダークネスは、人間だった頃は柔道の師範だったから、これもそこから来ているのだろう」
ジュディスはその“Black belt ORIGAMI”を手に翳し、また元の場所にそっと放つ。
杏奈はジュディスに向かって訊いた。
「それらの名付け親は一体誰なの?」と。
「名前は予め全て決まっている。そう、命名するのは全て“L e i c a”だ」
無数のダークネス達の、人間だった頃の記憶。
杏奈はポケットに忍ばせた、母の形見のロザリオを無意識のうちに握り締めていた。
ロザリオって名前は、バラの冠から来ているんだって。
このロザリオのビーズの一粒一粒は、祈りを表しているらしい。
だとしたら、ここには無数の祈りがこうして咲き誇っていると言うことか。
薔薇のタトゥーを入れていた母は、いつもいつも自分に言い聞かせるように言ってたっけ。
どんなに恐ろしく辛い過去からも、私は自由になってみせる、もう闇には縛られない…って。
ダークネスと人間の間で、ずっとサバイバルして来た杏奈は想う。
ママの記憶もこのバラの宇宙空間の何処かで、ひっそりと佇んでいたりするのだろうか。
きっとジュディスの脳内には、この広大なバラ園で咲き誇る1輪1輪の名前が全てインプットされているのだろう。
杏奈はあれから幾つかのバラの名前をジュディスに聞いてみたけれど、聞いたら全て即座に答えてくれた。
last burning
silent Utopia
SAKURA Patriot
他にも幾つか聞いたけれど、とにかくここにあるバラ、しいては彼らの記憶の全てに名前が付けられている。
そんな彼らの記憶の全ての鍵を握っている
“L e i c a”。
ジュディスの脳内では“L e i c a”とのデータの更新や遣り取りが絶えず行われている。
それはお腹だって空くに違いない。
世界中の言語を操るジュディスは、世界中の食べ物についても詳しかったが
「寿司は美味いな。あんな愛くるしい食べ物もそうそう無いだろう。
寿司を食せるだけでも、わたしはニッポンジンが羨ましいと思ってしまった位だ」
そんな事も言ってたな。
杏奈はお寿司は好きじゃなかった。
地上時代に、期限の切れたお寿司をコンビニのゴミ箱から盗んで食べたら当たってしまい、大変な目に遭ったから。
ふうん、本来ならお寿司って美味しいものなんだな。ピンと来ない。
芳しく漂う薔薇の香りに包まれながら、杏奈はまるで遠い昔のようで実はつい最近の事かもしれない記憶を手繰り寄せていた。
Dr.が口を開く。
「そうだな。久しく皆で食卓を囲んでいない。
ジュディス君も時空を飛び廻りさぞ腹も減ったであろう。
ここを見下ろせる場所にある、昔からあるカフェテリアの厨房には私が持ち込んだ冷蔵庫がある」
クロエが口を挟んだ。
「だけど、あそこに私達が踏み込んだらまたあのMrs.マリポサが文句を言いそうね」
博士は笑いながら
「ああ、昔はMrs.のサロンだった所だからね。
しかし今は違うよ。私が外部にも解放したから今はもうMrs.の所有物ではない。
その代わりに、ここのラボのワンフロアを分室としてMrs.に与えたのだから文句はないだろう」
そう言いながら歩くDr.に促され、杏奈達は例のカフェテリアで食事を取る事にした。(編集済)
クロエはふと、杏奈を保護した日の事を思い出す。
あの日は回診の拠点を、とあるポイントに定めて待機していた。
児童養護施設-
身寄りのない子供や、理由があって親の養育を受ける事の出来ない子供達が暮らす施設だ。
ターゲット…瀬戸杏奈は、直前に18歳を迎えこの施設を後にしていた。
ウイルスによって荒廃した世界では、こうした子供達が飽和状態となり、また彼等を保護する施設は何処も手一杯となってしまっている状態であった。
施設では、子供らは18歳を迎えると同時に自立を余儀なくされる。
杏奈はしばし、唯一の帰る場所ともされるこの施設を度々訪れていたようだった。
瀬戸杏奈の母親・瀬戸香奈子は未婚の母として、20歳の頃に杏奈を私生児として出産したが
常習していた薬物をどうしても断つ事が出来ず、当時は更生施設にて暮らす事を余儀なくされていた。
日常的に薬物中毒を繰り返していた香奈子は、禁断症状が出るとまだ幼い杏奈を虐待したり、
杏奈を置き去りにしたまま何日も留守にするような事も少なくなかったという。
杏奈は、生まれてから殆どの時期をこの施設で過ごしていたが
母親の香奈子が少しずつ薬物を断つ事に成功し、自身の居場所を見出すようになってからは母親と過ごす時間も増えていったようだった。
しかし、そうした僅かな希望を持てる時間は長くは続かず
香奈子は長年の薬物依存によるダメージと、本来持っていた持病の悪化からある日突然心不全で倒れ、そのまま意識を取り戻す事なく世を去った。
14歳だった杏奈は、この世界でたったひとりぼっちになった。
保護された後に、盗んだ食材で一杯になった鞄を抱える杏奈に
今まで何を食べて暮らしていたの?と訊くと
彼女は当たり前のような表情で
「ティッシュペーパー」と答えた。
その時クロエは杏奈の腕に付けられた煙草を押し付けられた跡を見ながら、ただ黙って彼女を抱きしめた事を思い出す。
それでも彼女は、そんな母親が自分の為に作った手縫いのテディベアを大切に肌身離さず持ち歩いていた。
Dr.トクシークはそんな彼女を見て
「共依存に陥るにはまだ彼女は幼すぎた。
ストックホルム症候群(※被虐待者が自身の命と身を守る為に、自分に虐待を加える加害者を自身の味方であると思い込み、加害者を敬愛しようとする精神的倒錯の一種)のような心理状態だったのだろう」
と分析している。
杏奈の意識は3日間、ただひたすらに朦朧としており生体としての反応も微弱であった。
そんな杏奈が少しずつ意識を取り戻し、周りとコミュニケーションを取るようになった時
何か欲しいものは無いか?と彼女に問うた時の答え。
「欲しいものなんか何もない。
強いて言えば、意味を求められない世界」
あれは鎮静目的で投与していた薬の影響だったのか?
それとも彼女自身の本心なのか。
未だにクロエは答えを見いだせずにいる。(編集済)
杏奈を落ち着かせながらも、いつもとは違う様子のクロエに、Dr.トクシークは気づいていた。
Dr.「杏奈がここに最初に来たこと、そしてあの件を思い出しているのか…」
Dr.も、その過去を思い始めた。
杏奈とのコミュニケーションが取れてから2週間後、Dr.トクシーク及びクロエは転送システムを使って、ダークネス・シティの巡回に向かおうとしていた。
杏奈「また、どこか行くの?」と後ろから杏奈の声が聴こえる。
Ðr.「お昼頃には戻ってくるから、部屋で待っていてくれ」
私は振り向かずに杏奈に伝えた…今思えば、当時の私は杏奈に対して冷淡な男だった…
巡回を終えた際、私達にラボから緊急の連絡が入る。
それは杏奈がいなくなったかも知れないという内容だった。
急いで戻った私達だったが、持っていたバッグ・手縫いのテディベアと共に杏奈が失踪したことを知る。
子供の様にパニックになるクロエを落ち着かせ、翌日から私達は巡回の同時進行という形で、音声など感覚を利用する実験を行った。
NWoMの連中には杏奈を実験台にしか見ていない事から、あえてダークネスの生態調査として、失踪の件も私の判断として伝えなかった。
数か月経った後に屋外での実験中、NWoMとの通信が入った際、杏奈が私達の方を見ていた。
だが杏奈は保護されていた機関の記憶を失っていた事、そしてタブレット内でのNWoMの監視から、私とクロエは感情を抑え、他人の振りをせざるを得ない状況下で、杏奈を保護する形となった。
彼等の通信がなければ、エネルギー切れなどという酷い言葉も言いたくはなかった。
そして私は落胆した、杏奈の身体が最初の保護の時に戻っていたこと、そして所持していたバッグには回収したはずの薬、そして最初の保護の時には無かったサバイバルナイフが入っていた。
「ねぇ、もういい加減はっきりさせてよ。
私を釈放するのか?しないのか」
広大なバラ園から、ラボのあるセクションに向かう巨大な空中回廊の入り口に来た時
杏奈は今までずっと心に秘めていた気持ちを無意識のうちに言葉にして発していた。
Dr.とクロエは、あの再び杏奈を保護した時の事を思い出し互いに視線を交わす。
杏奈の脳内でクラッシュしたまま投げ出されている、空白の日々の記憶を手繰り寄せてからでないと彼女に自分達のミッションの片鱗を伝える事は不可能だと感じた。
その様子を見守っていたジュディスが、彼女なりに気を利かせて言葉を継いだ。
「まあ、杏奈の気持ちは分からなくもない。
そうそう。ここのカフェテリアには杏奈、キミの嫌いなムツキの奴が居座っている可能性が高いからな。
今日は残念だが、会食はまたの機会に持つとしよう。
あぁ博士、博士の冷蔵庫からキャビアとフォアグラを盗んでいた犯人はムツキであると判明した。
その件についてはわたしが責任を持って、奴に弁償を申し出ておく。
クロエ、杏奈、申し訳ないがまたの機会にゆっくり話そう」
ジュディスはそう言い残し、作業服姿のまま
敬礼のアクションを見せ光のエレベーターの向こうへと消えていった。(編集済)
クロエに促され地下フロアへと移動した杏奈は、不思議と人の気配を感じさせないその空気に、地上でのあの殺伐とした気配を思い出し皮肉めいた気分になる。
そのうちの一室である、応接室と名打たれた部屋に入った。
豪華な割にはまるで忘れ去られたかのような皮のソファーからは、古びた黴の匂いがした。
夢から夢へ。
そして夢の世界はリアルな現実となって襲う。
そんな掴み所のない不思議な夜を、幾ばくか乗り越えて来たような気がする。
ここは、そんな行き場のない想いを体現しているような場所だ。
生と死の狭間を何度もくぐり抜けて来た杏奈は思う。
もう何でもいいよ、
かったりぃな。
あたしに出来る事なんか何にもないし
あたしがここにいる意味なんて大してないよ。
そんなにあたしに期待しないでよ。
お願いだから。
そんな本心が何度も脳裏を横切ったが
今までの真摯なクロエとDr.の事を思うと、それは自分の中で受け流した方がいいんだなと感じた。
「ごめんなさいね杏奈。あなたを驚かせるつもりはないの」
大丈夫だよ。
いつもの事じゃん。
こっちも慣れちゃったよ。
で、話ってなに?
そんな言葉を口には出さず、杏奈は自分の目を覗き込むように話すクロエに向けて放った。
2人は、古びたサロンのような豪華でありながらも寂れた応接室で
「どうやら私の貯蔵庫を漁る盗っ人が居たみたいだ。カフェテリアの冷蔵庫をちょっと覗いてから行くよ」
と言い残しカフェの厨房に向かって行ったDr.を待っていた。
杏奈は久々に、右のポケットにいるテディを撫でる。
お顔を直してあげたいけど、針と糸が何処か行っちゃったみたい。
少し時間がかかるけど、ちゃんと直してあげるから待っててね。
杏奈は禿げかけた仰々しい装飾品で飾られたソファーで伸びをした。
一方でクロエは、杏奈にミッションの事を何処から話したら良いのかを考え続けていた。
“L e i c a”が示唆した杏奈の真実。
ダークネスを救う手立てとなるかも知れない免疫抗体を確実に持っているかも知れないのが杏奈と、そして杏奈の父であると言う事。
しかし、その杏奈の父親はかつて人を殺めた過去があると言う事だ。
杏奈の力を借りる事は彼女の過去の記憶と真実を再び杏奈にインプットさせてしまうと同時に、
彼女の人生の中でずっと封印して来た父親の存在も明確に炙り出してしまう可能性があると言う事である。
これらは、今の杏奈にとって酷な事には間違いないだろう。
今まで杏奈の事を注意深く見守り、回復のケアの事だけを考えてやって来たけれど
自らそれを壊してしまう危険も同時に孕んでいたからだ。(編集済)
応接室とは別の場所にいるジュディスは、モニターを観ていた。
ジュディス「本当にこれでいいのだろうか…」
自問自答するジュディスだったが、ドアの音に気付き、ある人物を迎え入れた。
ジュディス「お待ちしていました…Dr.トクシーク」
いつもとは違う神妙な面持ちで、Dr.に接するジュディス。
Dr.「先ほどの『キャビアやフォアグラ』は、杏奈に気づかせない為の合言葉か…まあ、いい
あと転送システムのリーダーはまだ火星か…ジュディス、君に任せてばかりですまない」
複雑そうな表情を浮かばせながら、モニターを見つめるDr.
モニターには、クロエと杏奈がいる応接室が映し出されていた。
ジュディス「Dr.、クロエから杏奈の件は聞きました…本当にクロエが合図した時にミッションを行うのですか?
杏奈と"Leica”をシンクロさせる実験…あなただって本当はやりたくないはずですよね…」(編集済)
応接間では、黴の匂いの染み付いたソファーにもたれ掛かる杏奈と
モニターの向こうで、この様子を見守っているDr.とジュディスにいつGOサインを出すか、
慎重にタイミングを探るクロエが気怠い空気を醸す中に佇んでいた。
そんな空気をふと断ち切るように、
杏奈がクロエに向け問いを放つ。
「ねぇ、そう言えばクロエあたしに言ってたよね?
“私は杏奈に希望を見出してるよ”って。
あたしのどこに、希望を見出せる要素があるんだか見当つかなくて。
あの時ねあたし、クロエのこと
この人ってちょっと面白い人かも?なんて思っちゃった。
ごめんね、こんな事言って」
いつに無く、素直な様子を見せる杏奈にクロエは少し戸惑いながらも
そろそろDr.とジュディスに合図をしなければ…と、天井の隅にいる「双頭の鷲」の方向を見つめた。
双頭の鷲の胸元に鈍く光るルビーにはカメラが仕込んであり、Dr.とジュディスのいる場所に繋がっている。
まさかこんな黴に塗れた装飾品にカメラが仕込まれているとは、地上で幾多のサバイバルを経て来た杏奈も気付いていないようだった。(編集済)
合図に気づいたDr.は実行しようとする、しかしジュディスは動かない。
Dr.「どうしたジュディス…早くしろ!」
ジュディスはある方向に向けた、そこには…
?「あの…今から行うことは貴方にとって家族への復讐ですよね?
貴方が殺める危険性から、一時瀬戸杏奈に監視を付ける形で、脱走させて良かったです。
予想外の事件も起きましたが…」
現れたジュディスよりも長身の筋肉質ながら、礼節に基づいた男。
Dr.「お前は転送システムリーダー…火星にいたはずでは?」
?「僕はNWoMにはついていけないので早めに帰還しました、極秘で。
さてジュディス君行おう…“Leica”という機械の接触により、Dr.の洗脳は強化されている…
クロエへの説明、“Leica”と瀬戸杏奈を対話をさせるのはその後だ。」(編集済)