諸葛亮亡き後に蒋琬が宰相になった時は、大規模な北伐は行いませんでした。
そのため、諸葛亮の北伐で疲弊した国力が回復しました。
ただ、蒋琬は北伐に消極的な立場ではありませんでした。
漢水を船を使って下って、上庸などを攻めようとしました。
この方法だと、兵糧の輸送が容易になります。
しかも、すばやく上庸などを攻略できる利点があります。
そして、上庸などを拠点とすることで、新たな北伐の経路が得られます。
ただ、蒋琬が病気になったことと、費禕と姜維などが反対したため、この計画は頓挫しました。
反対理由は、失敗した時に引き返すことが困難だからです。
劉備が夷陵の戦いで惨敗したことも一因なのでしょう。
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魏延は直接長安を攻める提案をしましたが、諸葛亮に却下されました。
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蜀は最弱国でしたが、荊州を維持できたらと思うことがあります。
荊州を維持できていたら、北伐の難易度が幾分か下がると思うからです。
確かに、関羽は不覚を取りました。
ただ、荊州を維持するのは至難の業でした。
そもそも、荊州は呉から借りていた領土だったからです。
呉と友好関係を維持しつつ、荊州も維持するなんて無茶な話でしょう。
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劉禅を暗愚な君主と思っている人が多いかもしれませんが、そこまで愚かではなかったそうです。
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三国志演義では目立つ趙雲ですが、正史には大して記述されていないそうです。
関羽などと比べると、活躍する機会が少なく、階級も低かったそうです。
ただ、趙雲が有能だったことは確かです。
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張飛を脳筋と思っている人もいるかもしれませんが、意外と頭が良かったかもしれません。
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で劉禅は暗愚ではないと書きましたが、暗愚と思われても仕方がない逸話もあります。
https://hajimete-sangokushi.com/2021/12/08/disappointed-liu-shan/
関羽は、自分と同格以上の人に傲慢な態度を取る欠点がありました。
これが、荊州を失う原因の一つとなりました。
https://hajimete-sangokushi.com/2018/12/05/sonken-2/(編集済)
関羽とは対照的に、張飛は目下の者に傲慢な態度を取りました。
些細なことで、部下を厳罰に処したり処刑したそうです。
このため、張飛は部下に暗殺されました。
劉備は、上奏文が届いたと聞くなり「張飛が死んだ!」と嘆いたそうです。
https://hajimete-sangokushi.com/2019/11/25/%e5%bc%b5%e9%a3%9b%e3%81%ae%e6%9c%80%e6%9c%9f/(編集済)
劉備は、馬謖を評価していませんでした。
「馬謖は言葉ばかりで実力が伴っていない人物だ。
くれぐれも彼に重要な任務や仕事を任せてはいけない。」
この発言は、第一次北伐における馬謖の失態を予言したかのようなものとなりました。
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