【鬼たちのホストクラブ(14)】
東京湾を眼下に望む一流の大型展示場。荘厳な建物の中では「世界コンドーム大会」が開催されていた。
正装をした世界各国のコンドーム会社のCEOたちが厳粛な面持ちで趣向をこらされたブースを回り、最先端の商品を買い付ける。見た目は優雅でも、生き馬の目を抜くようなビジネスマンたちの姿が、そこにはあった。
色付き・香り付きは勿論、余った場合に中にひき肉を入れてソーセージ作りに活用できる商品や、大災害の時には最大1リットルの水を汲むことができる商品などが皆の目をひいている。
ふと拍手が沸き起こった。
場内にしつらえられた舞台の上で、世界のコンドームの神様と呼ばれているドン・ファンこと、野咲公介氏の講演が始まるのだ。
車椅子で壇上に上がった彼は、力強く話しはじめた。
「今日、このような光栄な場を設けてくださいまして、心より感謝しております。
こんにち市民権を得たコンドームですが、半世紀前、私が西日本で訪問販売を始めたころは、裏でコソコソ販売される恥ずかしいものだったのです。
しかし今はどうでしょう、おしゃれなショップで堂々と売られる世の中になりました。
私は100歳まで生きて、ある夢をかなえたい。
それは、「装着していたほうが快感が高まるコンドーム」ですっ!!」
彼は絶叫するように言い終わると、ガクっと首を落とした。
(ド、ドン・ファン……!!)
皆がごくりと息を吞んだが、その後彼は目を覚まし、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。「ブラーボー!!」「万歳!」歓声は鳴りやむことが無かった。
その会場の片隅で、一人、シルクのハンカチで感動の涙をぬぐう男がいた……そう、ドクター・鬼舞辻無惨である。
「野咲さん、すばらしい講演でした。すべての医療器具は、美しく楽しく生きるためにある、という僕の医者としての信念を確固たるものにしてくれました」
「おお、鬼舞辻先生。避妊具のことも勉強に来てくださったのですね」
ドン・ファンと執事は満面の笑みだ。彼はすかさず言った。
「僕に、あなたのブランドのコンドームの訪問販売を独占する権利をください。金は惜しみません」
一か月後。近畿地方の山奥の、竹やぶに囲まれた木造の小屋……。
「あん、あん。はあ、はあ。もっと突いてっ」
「くっ……締め付けられる。君はいやらしい女だな……さあもっと動物のように足を開いてくれ……」
無惨は訪問販売に訪れた農家の妻と、旦那の留守をいいことに逢瀬を重ねていた。
くびれたウエスト、小ぶりだが弾力があり柔らかい胸。性感帯の発達した太ももの内側……彼はそのすべてを貪るように愛撫し、気が狂ったように突きまくっていた。
ベッド替わりの台に敷かれた古いむしろがわずかにささくれ立っているが、後背位で責めているとき、彼女の胸にそれが心地よい快感を与えてくれたようだ。いやがおうにも二人の絶頂は高まる。
しばらくして二人が果て、じっと竹林を吹き抜ける風の音を聞きながらぎゅっと抱き合っていると、無惨のスマホの着信音が鳴った。沙紀からだった。
面倒臭そうに出る。
「沙紀さんか。何か用か」
「あなたのホストクラブで、私が遣った額が500万円に到達しました。お願い、今夜は抱いてくれますよね?」
「……無理だ。俺はいま、こっちの農婦に夢中だ……」
「えっ」
「お前の旦那の跡継ぎとして、コンドームの実演販売に忙しい」
無惨はおごそかに言う。
「実演って……女とヤってるの!?」
「もちろん。しばらく東京には戻れない。夢中になってしまってね」
「誰。誰よッ!!」
「決まった女ではない。出会う女全員が最高なんだ」
「私よりもイイっていうの!?」
モデル体型で豊満な自分の肉体にプライドがある沙紀は思わず叫んだ。
無惨はフっと笑う。
「君は一見美味しそうにデコレーションされたケーキみたいな女だ。胸もくびれもすごいが、じっさい寝てみると、味は大したことが無い……。中の上くらいかな」
「ひどいっ!!」
「こっちの農婦たちはすごいぞ。
朝から晩まで立ったりしゃがんだりを繰り返して、重い作業具を運んで土を耕している。だから筋肉が発達して身体の奥の締まりがとんでもないレベルに達しているんだ。
それ以外にも、長年働いて培われた指の関節の動きによって、しなやかな愛撫も可能だ。人間も所詮、哺乳類の一種。
花や農作物をいつくしみ、動物を可愛がってきた女たちの優しい指のタッチは至高の領域だと、驚かされたよ……。
彼女たちにふんわり抱きしめられると、「ああ、これから彼女の海の中で、俺は心から開放されてゆったりと快楽の波に浮かぶことができるんだ……」という安心感を得られるんだ。そして空の上から雲を眺めるような絶頂を感じられる。
俺はしばらく、この山奥の女たちに身体を支配され続ける。飽きるまでは、ずっといるさ」
「そんなあ……」
「沙紀さんもせいぜい、都会で豪遊する時間の合間に、床の拭き掃除や、テラスでの家庭菜園でも頑張るべきだな。身体の内側の筋肉と、指の繊細な優しい動きが身に着くぞ」
カッとなった沙紀は電話を切った。
そしてスマホを握り締めながら呟いた。
「何よ、バカにして……元はと言えば、ドン・ファンのくそジジイが無惨様を商売に引き込んだからだわ……殺してやる。ドン・ファンを殺してやる!!」
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(15)】
和歌山。ドン・ファン邸。
珍しく東京からワガママ妻の沙紀が帰宅し、結婚後初めての手料理をふるまった。
しかしガウン姿のドン・ファンは不機嫌だ。
「もうたくさんだっ!」
いきなり叫ぶ。ガシャーンとカトラリーが大理石の床に落ちる。
「お前と結婚してから、ほとんど同居していない!!わしが高齢なこと、身体が不自由なことをバカにしやがって……ゴホッ、ゴホッ」
「ふんっ」
「セクシービデオに出演していたのも従業員から聞いたぞ!!わしはお前とは離婚して、鬼舞辻院長のお手伝いさんの紫紅恵さんにプロポーズすると決めたからなっ!!」
「なんですって!!」
「紫紅恵さんはミスコンでも優勝している、お前なんかよりずっと綺麗な女だ!そして道端で倒れていたわしの介抱までしてくれたんだ!!」
沙紀は怒って立ち上がる。そしてドン・ファンを冷たく見おろす。
「……まあいいわ、今日のところは。早く羽田行きの便に乗らなくちゃだから」
ずんずんと廊下赤いじゅうたんの上を歩いていく沙紀の後ろ姿を、ドン・ファンは冷たい目で見送った。
「ふん…この肉団子も、まずいったらありゃしない…どう作ったらこんなにまずくなるんだ…」
不機嫌にもぐもぐと入れ歯を動かして咀嚼する。
「ギャアアアア!!」
キッチンのほうから執事の絶叫が聞こえて来た。
家政婦が驚いて駆けつけると、ドン・ファンの愛犬ラブの毛が散乱している。
近くには血の付いたまな板、何かを煮込んだ鍋が無造作に置いてあったのだった。
東京に戻った夜から、沙紀はさっそく化粧を濃くして「デーモン」へと通い始めた。
無惨が山の女たちを手あたり次第に抱いていると知り、ぶつけようのない悔しさがこみ上げてくる。
沙紀はホストをとっかえひっかえ指名し、アフターで枕を要求することで憂さ晴らししようと試みた。
「煉獄さんってかっこいいわよね……逞しくて髪の毛もキラキラしていて。是非、一晩中一緒に過ごしたいわ……」
胸の谷間の見えるワンピースでにじり寄り、グラスを傾けながら彼の顔を覗き込む。
煉獄も爽やかな笑みでまっすぐに彼女の目を見つめてくる。
「沙紀さん!せっかくなら夜ではなく是非、朝を一緒に過ごそう!」
怪訝に思いながらも、夜明けと共に指定された皇居の門へ行くと、ジャージ姿の彼が既に一周目のジョギングを終えたところだった。
「沙紀さん、おはよう!さあ、陽の光を浴びて一緒に走ろう!!」
(か、かっこいい……♡)
お堀の歩道を、ものすごい速さで走っていく。なんとか必死についていく沙紀。
「煉獄さーん!おはようございます~!」
「煉獄さーん! 頑張ってくださーい!」
ウエア姿やTシャツ姿の老若男女が、立ち止まり、手を振って彼を応援している。
「おはよう!良い朝だな!」
笑顔で一人一人に大きな声で挨拶しながら、息を切らさず軽快に走っていく。
(彼が、一日8000人ともいわれる皇居ランナーたちのアイドルだったなんて……まさに国民的人気だわ……それにしても、この人いったいいつ寝てるの!?)
沙紀はその日だけで煉獄狙いはあきらめたのであった。
早起きして走るのも辛かったが、それ以上に、若い女性たちとすれ違うたびに物凄い目つきで睨まれるのが怖かったからである。
それと比べると、可愛い累と無一郎のコンビは良かった。
若いのに政治に音楽、多方面に話題豊富で賢いし、あやとりをしながら手と手を自然に絡めてきてときめかされた。
無一郎の髪の毛を三つ編みにして遊ぶのも、よくわからないが色気があった。
「弟営業」のジャンルも、はまると底なし沼なのだと実感できた……。
そんなある日の夜。
「ちょっと…ドン・ファンの奥様、今夜は猗窩座さん指名してるじゃないのよ」
沙紀と肩を寄せ合う猗窩座を、シク子とシク美は後方の席からイライラしながら見つめていた。
「金持ちだからって、男好きにも程があるよね……猗窩座さんはシク美ちゃんのものって、このお店では決まってるようなもんなのに」
「おカネのある方が決定権があるとはいえ、やっぱり少し傷つくよね……」
そんなふうに噂されているとは知らず、ぴたぴたのカットソー姿の沙紀は猗窩座にすり寄りながらシャンパンを飲む。
(……なんだかこういうタイプは苦手だなあ……)
猗窩座も頑張って接客するが、違和感が残った。
スピリチュアルの一説に、植物は全世界でつながっているというものがある。
あなたの家の近くの桜にお願いをすると、全世界の桜もその声を聴いているというものだ。
……であれば、動物もそうなのかもしれない。犬に名前のルーツを持つ猗窩座は、残酷な目にあったイブの絶叫を潜在意識で共有し、沙紀への警戒感を感じていたのである。
二人で乾杯していると、スッと横に誰かが立つのを感じた。
見上げると、沙紀の好みのクールで理知的な、黒スーツのよく似合う見慣れないホストが二人立っている。
「矢琶羽でーす」
「サイステでーす」
彼女は歓びを隠せない。
「あらー、初めて見るわね。二人共イケメンじゃないの~。一緒に飲みましょうよ!!」
(なんだ?いつも白衣の作業服姿の矢琶羽とサイステがスーツ??)
そう疑問に思う猗窩座をよそに、二人は満面の笑顔で、沙紀の隣に物慣れたふうに腰かけた。
天下の慶王ブランドの余裕は、ふとした拍子に出るのである。
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(16)】
黒スーツの矢琶羽とサイステは、沙紀の両隣にゆっくりと座った。
最上級のカッシーナのソファであっても、彼らは臆することなく深く腰を下ろし、身をゆだねることを厭わない。
もしあなたが日吉を歩けば、すぐにわかるだろう。
その若者たちは、背筋をまっすぐにのばし、長い両脚をカモシカのように優雅に動かし、笑顔は天真爛漫で、肩からは力が抜けて、両腕はしなやかだ。
世界は自分を受容すると信じて疑わない、輝くオーラに満ちている………そう、それが慶王クオリティだ。
「なんだか今日の矢琶羽、いつもと違うぞ?」
皆がヒソヒソと噂する。
「普段は白い作業服で掃除にいそしんでいる矢琶羽と、Tシャツ姿でチャリで動き回っているサイステだけど、ああやって余裕こいてソファに座ってると別人だよな」
沙紀は楽しそうに二人と乾杯した。
「へえ~、二人は慶王の大学生なんだ。札幌の友達が受験に合格したけど、大学から入っても幼稚舎や医学部が目立ってるからなじめなさそう、と怖がって早稲田に入学してたよ」
「くくく……」
手の平を組んで下を向き、肩を震わせてサイステが笑う。
「心配しなくても大丈夫ですよ。幼稚舎出身者や医学部生は非常に稀な存在で、数えるほどしかいないですから。
慶王生のほとんどは、幼稚舎出身者とも医学部生とも知り合いになることはなく、その姿を見ることすらなく、生涯を終え土へと還っていくのが普通です。
まあその点、矢琶羽は珍しい一般入試生ですがね。
目の前にこの僕がいるのですから」
幼稚舎出身のサイステはニヤリとしながらグラスをかたむけ、沙紀を横目で威圧するように語り掛ける。
目を閉じて黒服姿で静かな笑みをたたえる矢琶羽も、いつもの少年の面影を残す可愛らしさは鳴りを潜め、どこからどう見ても「広島一の秀才色男」である。
遠目で伊之助がポカンと見つめている。
(おいおい、あの二人、一気にキャラ変してないか?)
「そうか、勉強嫌いな私にはよくわかんないけど、とにかく慶王ってスゴイんだね」
「まあそうですね。日本経済を動かしてきたのは美田会、つまり塾員ですからね。そして有名なこの店のオーナーも……」
「サイステ!」
それまで柔和な笑みをたたえていた矢琶羽が、キっと厳しい表情になった。しかし沙紀は目を光らせ、聞き逃さなかった。
「オーナーのことは勿論知ってるわよ。キブツジ・インターナショナル・クリニックの無惨院長でしょう?有名病院とホストクラブを経営しているなんて、有能な人よね……」
矢琶羽は黙り込む。気まずい沈黙が流れ、わけがわからないまま、沙紀は見えたままを言う。
「実は無惨様から超能力を与えてもらったの。ある日から私は、男性たちの頭上に、光るテニスボールくらいの大きさの玉が見えるようになった。(性欲の)強い男は金色、普通の男には水晶の玉が浮かんでいるのよ」
「へえ~っ」
新しいもの好きなサイステは、身を乗り出して聞いている。
「俺はどうですか?」
「水晶色ね」
内心、俺は金色に違いない、と自信満々だったサイステの目にサッと失望の色が走った。
「わしはどうかのう」
矢琶羽も楽しそうに広島弁で笑顔で問う。
「それが……不思議なんだけど、あなただけ、銀色の玉なの。どういう意味なのかしらね」
「そうなんじゃのう……なして(なぜ)かのう」
「あっ、あれじゃない?日吉駅前の大きなオブジェ、「ぎんたま」!!何か関係があるんじゃないの」
沙紀は冗談のつもりで言ったが、二人は急に青ざめた。日吉のぎんたまと二人は、波動で結ばれることにより超能力を発揮する。そのことは誰にも秘密だったからだ。
「沙紀様、それでは俺たちは用があるので。」
そそくさと二人は立ち上がる。
「何よお、もうちょっと話しましょ」
「大変残念ですが、今から日吉に戻らなくてはなりません」
「電車で一本じゃないの」
「途中の目黒駅で、早稲田のサークルの集会があるとの情報が入りました。不浄を避けるために、三回乗り換えねばなりませんので……」
「はあ……あいつら面白いですよね」
面食らったまま、猗窩座は沙紀と話す。
「面白い子たちよね。また会いに来るわ」
シャンデリアの下で目を輝かせながら、沙紀はうっとりとして言った。
「そうそう、今日突然あなたを指名したのは、猗窩座さんに聞きたいことがあって……調べちゃって悪いけど、あなた以前はけっこうヤンチャしてたんだってね」
「ええ、まあ」
腕力の強い猗窩座は、高校時代は名の知れた堅気のヤンキーだったのだ。
「じゃあ……もしかして、覚せい剤の入手方法とか知ってる?」
沙紀は突然声を潜めて、猗窩座の耳元で囁いた。
「!!」
猗窩座は沙紀を真顔で睨みつけると、ぐいっと手をつかんだ。
「あんた……危ないことに手を染めようとしてるんじゃないだろうな」
「見てよ!猗窩座さんが沙紀様の腕を握ってるよっ」
何も知らないシク子とシク美は、後方の席でカクテルを飲みながらずっと様子をうかがっていた。思わぬ展開にシク子は思わず身を乗り出して、不機嫌な声をあげる。
振り返ると、横にいるシク美の目にはじんわりと涙がにじんでいた。
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(17)】
初夏とはいえ、夜十一時を回ると店の外は冷たい風が吹いていた。
シク子とシク美は門のそばの梅の木に隠れて、猗窩座が沙紀を見送る姿を眺めていた。
シク美はふと、青い実がたくさん大きく膨らんでいることに気づく。
彼のヘルプの煉獄の誕生日を祝ったのは2週間前のことか。あのとき、梅はまだビー玉のように小さかったのに。
自分の猗窩座への思いがどんどん大きくなっていくのに、まだ何も変化がないことがもどかしかった。
別れ際に沙紀がギュっと猗窩座の左手を両手で包み、笑顔で「おやすみなさい」と迎えのタクシーに乗り込んでいくのを見届けた後、二人はそっと猗窩座に近づいた。
「猗窩座さん」
シク子の少々非難がましい目線に、振り返った猗窩座は何かを感じたのだろうか。
「お二人とも、今夜も来店してくださってありがとうございました。もしよかったら、シク美さん、一緒に帰りませんか?」
その言葉にシク子は安堵して、トレンチコートの裾をなびかせながら笑顔で帰って行った。
シク美は初めて猗窩座に誘われて、さっきまでの不安な気持ちが吹き飛んでいくのを感じた。
「もう「デーモン」に来るなって、どういうことなの?」
思わず声が大きくなり、深夜の駅前のファミレスに響き渡りそうになり慌てて口を閉じる。
「何度も言ったけど、デーモンは本当は、シク美さんのような堅い育ちの真面目なお嬢さんが来るようなところじゃないです」
「……」
目に涙をためてうつむくシク美に、猗窩座は続ける。
「店の格は一流だし、建物も調度品も立派です。でも所詮はホストクラブ。自分が言うのも変ですが、中の人間はピンキリですよ。
芸能界だって、名家のお坊ちゃんお嬢さんもいればスラム街から出てきたようなのもいるでしょう。伊黒さんや矢琶羽のように良い家柄の者もいるけど、俺みたいなヤンキー上がりのほうが多いです」
シク美は今にも涙がこぼれそうになるのをこらえて、紅茶を飲んだ。ふんわりとした薄いピンクのショールが、ラベンダー色の石の指輪とよく似合っている。
「俺なんかにはもう、関わらないほうがいいです。あなた自身のためです」
熱心に目を見て説得する猗窩座。
「ふふ、ふっ…」
「何がおかしいんですか」
「猗窩座さんのことが大好きで大好きで、いつも会社が終わる時間になると嬉しくて。いつか二人で仲良くなれたらいいなってずっと思っていたの。こんなふうにお茶したいな、って。でもそれが叶った最初の日に、もう来るな、だなんてひどい……」
「シク美さんのことを大切に思っているからです。最初に担当した時からいつか言わなくては、とずっと考えて来たことです。お客様だって色々な人がいるし、いつか危険なことになるかもしれない」
「お客……それって、ドン・ファンの奥様の、沙紀さんのこと?今日あなたを指名した」
猗窩座は黙り込むと、きょろきょろと周囲を確認してから、険しい表情になり声を潜めた。
「あの人は危ない女ですよ」
「大富豪の奥様が危険なんてことないでしょう。これからあの人を太客にしていくのに、私が邪魔なんでしょう」
はあ……ハンカチを目に当てて、さめざめと泣くシク美に、猗窩座は首を横に振り、大きなため息をついた。
いつの間にか星空は曇り、雨が降り始めている。
猗窩座とシク美は一つの傘に身を寄せ合い、駅の改札まで来た。
「それでは、俺は店に戻って片付けがあるので」
シク美は黙ってうなずく。
「じゃあ、シク美さん……終電遅れてしまうから、早く行って」
あんなに憧れた猗窩座と、お茶と相合傘をはじめてした今日、いきなりお別れなんて。
シク美は上を向いた。猗窩座は顔は少し少年らしさが残っているが、並ぶととても背が高かった。シク美が店に来ないと約束したからか、安堵した笑顔を見せている。
「お別れに、キスして」
「……」
猗窩座は困ったように優しく見下ろす。シク美のことを子どもを見るような目でじっと見つめている。
「俺には婚約者がいたことがあるから……彼女に嘘はつけないから。ごめんなさい」
シク美はかすかに笑った。
「ううん。そういうところが好きだから」
「それじゃあ……」
彼が振る手の平と黒い傘がどんどん小さくなり、雨にかき消されていくのを、シク美は立ちすくんで見送っていた。
時計を見ると、もう終電が来る時刻だ。急いで改札へと向きを変えた時、つま先に何かがコツンと当たった。
しゃがんで拾うと、それはロケット型のペンダントだった。鎖が途中で切れている。
いつも猗窩座が首元から覗かせていたものだ。よく見ると錆びていて古いから、壊れてしまったに違いない。
シク美は何気なくそれを開いて驚いた。
写真には、髪を結い上げている優しそうな女性。その笑顔が、自分に瓜二つだったのだ。
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(18)】
四方を高い山々に囲まれた、畑がひろがる農村。竹林を分け入った獣道の薄暗い谷底に、「ドン・ファン山奥出張所」のプレハブ小屋があった。国道まで遠いこの村には、川のせせらぎが響くだけだ。
かすかにこの小屋がギシギシときしんでいることに気づいているのは、農婦たちから可愛がられている野良猫のタマ、一匹のみである。
「あんっ…もっと、もっと…」
簡易ベッドの上から、コンドーム実演販売中の甘い声がかすかに聞こえてくる。
「昨日の薄さ重視と、今日の圧力重視とどっちがいいんだ?ハア、ハア」
人類愛のための実演販売に、9時から5時までなどという決まりはない。
一流ビジネスマンである無惨は、カーテンの隙間から差し込む夕陽に目を細めながらも、サービス残業は承知の上でガンガンと突き続ける。
「どっちもいいです、無惨さまっ」
「こんなイヤらしい下着、どこで買ったんだ?いったいどんな表情で通信販売のホームページをクリックしたんだ」
もはや布ではなく紐・網としか言えないブラとTバックを外しもしないまま、乱暴に無惨は彼女を貪り続ける。
しばらくして絶頂を迎えた後、恍惚とした無惨はぐったりと仰向けになった。
「じゃあ、10箱買っていきます。もう連絡はいりませんから」
女の方はスッキリしたのか、シャワーを浴びるとさっさとモンペに着替えを済ませ、腐葉土の大袋を持って立ち上がる。
「待ってください。定期購入なら50パーセントオフにしますし、二週間に一度、俺との実演カウンセリングをサービスしていますが、どうですか?」
(この女は結構良かった…もう一度会ってやってもいいな)
無惨は笑顔で後ろ姿に声をかける。
その瞬間、彼女が振り向いた。首にかけた手ぬぐいで、乱暴に顔をぬぐうと、日焼けしていたはずの皮膚が、あっという間に白くなった。そしてニヤリと笑う。
「お久しぶり、無惨様」
「さ、沙紀さん!!」
「肌を浅黒くして、農婦のコスプレをしたら、まんまと引っかかったわね。くくく」
「はあ……あなたの夫のドン・ファンに知られたらどうするんだ」
「構わないわよ。死んでもらうつもりだから」
沙紀は斧を担ぐと、夕暮れの山道を消えていった。
ドン・ファンを殺す……沙紀はそのための色々な手法を研究していた。
海へ崖から突き落とす。睡眠薬を飲ませる。スキーに誘ってジャンプ台を試させる……色々考えていくうちに、病弱で高齢な彼に最も効果的で、すぐに天国へ行けそうなのはいわゆる「クスリ」だと気が付いた。
歌舞伎町。
多くの言語が飛び交い、あちこちで客引きが入り乱れている多国籍な空間。
指定された日時に、沙紀は黒づくめの服装で、とある裏街道のバーを訪れた。
「沙紀さん、こっちです」
低い声が聞こえる。Tシャツにジーパン姿の猗窩座が、見慣れない男と座っている。
「今日は、沙紀さんに考えを改めてもらいたくて、クスリがどんなに怖いものか知っている友達を連れてきました」
「こんばんは。俺は猗窩座さんが以前コーチをしていたボクシングジムの隣で、格闘技教室を開いていたものです。
前科十犯、犯罪は一通り経験していて、ムショから一昨日出たばかりです」
見るからに人相が悪い。沙紀はほくそ笑む。
「筋肉質な人、私、大好きよ。じゃあもう、猗窩座さんは帰っていいわ。続きはこの人からラブホで聞くから」
男はずいぶん女に飢えていたらしく、部屋の扉を閉めるなり獣のように襲ってきた。
「猗窩座、あいつアホじゃねーのか。俺が他人に、殺人なんかやめろ、クスリなんかやめろ、なんて言うわけがねーじゃねーか」
「キャハハ!そうこなくっちゃ!」
「ぐはあ…いいオッパイだなあ」
男はオッパイ星人というやつらしく、しつこくいつまでもべろべろと舐めたり揉んだりしてくる。
「なあ、たまらないぜ……いいだろ?」
「ふふふ。クスリをくれたら最後まででもいいわよ」
沙紀はすかさず条件を出す。男は瞬時にパンツの中に縫い付けてあった小さな白い粉の入った袋を取り出す。
「すごーい!ありがと」
「まだだ……俺のモノも舐めてからでなくちゃ渡さないぜっ」
部屋にはしばらく、笑い声が満ちていたが、そのあと荒い息遣いにかわり、そしてやがて静かな寝息だけが響き始めた。
和歌山。
ハイブランドのぴたぴたのワンピースを着て、サングラス姿で意気揚々と沙紀はドン・ファン邸に帰還した。
乱暴に鍵を開け、玄関に入る瞬間、一瞬息をとめるのが癖だった沙紀は、今日もそうした。
(オムツの匂いや食べこぼしの匂いが気持ち悪いからね……アーヤダヤダ)
『妻である自分が、時には掃除すべきなのだ。』……という考えが沙紀に浮かぶことは、ついぞ無かった。
顔をしかめながら息を吸うと……あれ、あれれ?
玄関は綺麗に整頓され、廊下は磨き上げられ、かすかに洗剤の良い香りがする。。
「お帰りなさいませ、奥様」
目の前に立つ女を見あげて、沙紀は驚く。
宝塚の娘役のような美しい女が、エプロンを着けてそこに百合の花のように立っている。
「はじめまして。今日から家政婦となりました、鬼舞辻先生の側近の、紫紅恵と申します」
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(19)】
ドン・ファンが悪妻の沙紀に愛想をつかし、家政婦としてやってきた無惨の側近・紫紅恵に夢中なのは、屋敷の誰が見ても明らかだった。
彼は車椅子の上でテレビだけを凝視し、久々に帰宅した沙紀のことは完全無視だ。
「私東京出てから何も食べてないの。紫紅恵さん何か作ってよ」
沙紀がダイニングの長椅子にどっかりと座り、横柄な口を利くと、紫紅恵はにっこりとうなずいて台所へと出て行った。
その瞬間、ドン・ファンが手にしていたリモコンをピッと押した。
「キャアアアア!!」
いきなり長椅子の背もたれがガシャンと倒れ、足元の板は起き上がり、瞬時に横から出てきた鉄製のベルトがガシャリとはまった。沙紀を拘束するベッドに形を変えたのだった。
「メシだと……?ワシの最愛のラブちゃんをミンチにして肉団子にした恨みを、まさか忘れているとでも思ったのか……?」
「はずしてっ!お願いっ!!」
首、両腕の付け根、両脚の付け根のところに鉄製のベルトがはまった恐怖で、仰向けに倒された沙紀はじたばたと抵抗する。
「まさか、あたしを食べるの!?」
「そうは思ったが、お前の肉などに価値は無い。代わりにいいことを思いついたんだ。」
そう言うと、ガウン姿のドン・ファンは「パン、パン」と大きく手を打ち鳴らした。
どこからともなく見慣れない中年女性がシャーっと黒子姿で入ってきて、抵抗する沙紀の衣服をベルトの隙間からあっという間に剥ぎ取る。ショーツ一枚になった。
ショックで呆然としていると、他にも数人、刺身の皿鉢を持った中年女性たちがやってきた。彼女の裸体をお湯で洗い保冷剤で冷やし、消毒液で拭く。
そしてあられもない姿の沙紀の上に、色とりどりの刺身を載せていく。
「よし。皆の者、下がれ」
この従順さは、どうやら無惨のコンドーム実演販売の女性客たちだろう。すっかり無惨に洗脳されて、命よりも大切な畑を捨てて出てきたのだ。
「ふふふ……仕返しだ。今夜はお前で『女体盛り』を堪能させてもらうよ」
「くっ……!!」
ドヤドヤとドン・ファンのセクシービデオ鑑賞会の仲間や、麻雀仲間の男たちがやってきた。
「おお、これはこれは……なんと刺激的な……」
「バブルの頃は、あちこちのパーティで行われたと聞いていますが、実際にあったとは」
沙紀が周囲の男たちを睨みつけると、そこにはなんと鬼舞辻無惨まで立っているではないか。
スーツ姿の無惨は悠然と沙紀の横までやってきて、
「農婦の君も美しかったが、海の女というのもなかなか、オツなものだね」
とシャンパンを飲みながら微笑みかけてくる。
客全員に、本醸造醤油が入った小皿と、割り箸が手渡された。沙紀の女体盛りの周囲を取り囲む。
上機嫌のドン・ファンはワインを片手に、
「さあさあ皆様、遠慮なく海の恵みを召し上がってください。では最初に、訪問販売で今月一番の売り上げを出してくださった無惨先生から……」
満足そうに頷く無惨。早速、沙紀の乳首の上に置いてあったアワビを一切れ取ろうと、割り箸を持った手をまっすぐに伸ばした。その時、
「やめてっ!!」
バーンと音がして皆が一斉にドアを振り返る。そこには頬を紅潮させた紫紅恵が、サンドイッチを持って立っていた。
「いつの間にか裸にされて、お刺身沢山載せられて、お可哀想ですっ」
「いいんですよ紫紅恵さん、こんな遊び人の意地悪な浪費女なんか」
ドン・ファンはこともなげに言う。
「それに無惨坊ちゃま、いえ、純粋な無惨先生にこんな遊びを教えて欲しくないのです!!」
顔を赤らめて、しかしきっぱり紫紅恵は言い切った。
無惨は後ろで目を丸くする。
(おいおい、紫紅恵……既に俺が、この程度では全く驚かないくらいに、多くの女の、ありとあらゆる姿態を見て来たことを全然わかっていないのか?)
腕を組んで、思わずきょとんとするのだった。
「おお、なんて優しい女性だ!!」
ドン・ファンは泣き叫ぶ。そして客人に言う。
「まずは隣のシアタールームで、最新のセクシービデオを鑑賞しましょう。」
紫紅恵はほっとして言う。
「じゃあその間に、このお刺身たちをフライにしておきますよ」
「さっきはありがとう」
宴も終わり、屋敷の周囲はシンと静まり返っている。シャワーを浴びてタオルをターバンのように頭に巻きつけ、パジャマ姿の沙紀。隣にはまだエプロン姿の紫紅恵。
二人でソファに並んで座り、見るともなく、バラエティ番組を眺める。
「無惨先生と、紫紅恵さんのお付き合いは長いの?」
「そうですね、彼が六歳、私が十三歳でしたね。子どもの頃の無惨坊ちゃまはお目目がくりくりしていて、お人形さんみたいに可愛かったんですよ」
「へえ。もう恋人か夫婦ってくらい、一緒にいるんだね」
「やだあ……」
少女のように照れる紫紅恵を見ながら、沙紀は
(この女は知らない。無惨が夜な夜な、大勢の女と快楽ざんまいなことを……)と確信する。
「無惨先生がコンドームを勧めると、女の人たちはみんな喜んで買うみたいね」
「そうですね。医師からなら安心でしょうし」
「くく、先生が実演販売してたら紫紅恵さん、驚いちゃうでしょ?」
「真面目に勉強と仕事しかしていない坊ちゃまが、そんなことは絶対無理ですよお~!!あんなに清廉潔白な好青年の無惨様が、不特定多数の女性と、なんて!!」
その時、テレビに見慣れた笑顔が映った。気さくな美男子のキラキラしたアップ。
「今日のスピリチュアル人生相談は、元カリスマホストの童磨がお送りしま~す♪」
ぶっ!!と沙紀はお茶を吹き出した。
そのころ、この物語の主役でありながら出番の少ないシク子も、風呂上りのビールを片手に、女性タレントの悩みを聞きながらスタジオで優しく頷く童磨を呆然と見ていた。
「何よ、知らないうちに「デーモン」辞めたと思ったら……テレビに出るようになってるなんて……」
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(20)】
会社帰りのコンビニ。雑誌コーナーでふと手にしたyan yanの表紙を見て、シク子はあっと小さな声を上げた。
「童磨……」
『愛し合えるカラダ』というキャッチコピー。
髪の毛をわずかに乱れさせて、色っぽい目つきの童磨がこっちを見ている。筋肉質な上半身は裸で、意味ありげにジーパンのベルトに両手をかけている。
イケメンスピリチュアリストの肩書で華々しくバラエティ番組に登場して以来、童磨をテレビで見ない日は無かったが、まさかyan yanの特集にまで……。
普通はこの雑誌の表紙は有名アイドルの指定席だというのに。
複雑な気持ちで部屋に帰ったシク子は、レモンサワーを片手にパラパラと雑誌をめくる。半裸の童磨と下着姿の田中みな実が、瀟洒な洋館でじゃれあっている対談記事が目に飛び込んできてモヤモヤが止まらない。
「いつか結婚を意識した人に出会い、はじめて愛し合う日が来たら、きちんとスーツを着てアクセサリーを用意して…最初に静かな海沿いのフレンチレストランで食事してから、って決めてるんです…」
笑顔の童磨が、白いブーケを片手に紙面から語り掛けてくる。
「!!」
反射的にシク子は雑誌をゴミ箱にバンッと投げ捨て、そのままベッドにつっぷした。
「嘘、嘘ばっかり……」
真っ暗な夜更けに、部屋着みたいないいかげんな服装にボサボサ頭でやってきて、玄関で強引に襲い掛かってきた童磨。
乱暴に胸をまさぐりながら、結婚するんだからいいよね、ってあたしの両脚を力ずくで開いてきた童磨。
あの男にとって自分は、「大切な人」じゃなかったのか……。
たくさんキスして、抱き合って、見つめあったのに………
あたしはただ、身体の欲を発散させるための遊び相手でしかなかったんだ……
うっ、うっ、とシク子は肩を震わせ、声を押し殺して泣いた。
実家を出る時に持ってきたうさぎのぬいぐるみが、困ったようにシク子を見下ろしていた。
「一緒に食べていい?」
慶王大学・日吉キャンパスの学食。矢琶羽とサイステが定食を頬張っていると、目の前に経済学部の有名な美女が立っている。女子アナ志望で既に事務所にも入っているというもっぱらの噂だ。
普段から女子と長時間話すのが面倒なので陰キャを気取っている二人に、彼女たちが話しかけてくることは珍しかった。
二人が黙っていると、拒否されるとは思わないのだろう、美女は勝手に前の席に腰かけた。
「ねえ、二人ってあの一流ホストクラブの『デーモン』でバイトしてるんだってね」
「掃除係じゃがのう」
「あの有名な童磨さんが最近まで勤めてたんでしょ!?どんな人だったの?」
「うーん、一言で言えばチャラかったな。軽いテニサーみたいなノリ。今思えばやたらと手相を見るとか、人生相談に乗るとか客に言っていたけど、単なる女好きだからかと勘違いしてたよ」
トンカツを頬張りながらサイステが答える。
しばらく聞くと、すっかり満足した彼女はさっと席を立って行った。
「ふう、疲れたのう」
慶王女子というのは100%イケている人種である。
ハキハキしたコミュ強の、活動的な綺麗な女子「しか」いない、と言い切ってもあながち間違っていないだろう。
これが男子だと、どういうわけか派手民族と地味民族が半々に分かれているから、のんびりしていて気が楽なのだが……。
そのころ無惨も、東京タワーの夜景を眼下に望むタワマンの一角で、雑誌yan yanに目を通していた。
(童磨はただ軽いだけの人間にしか見えなかったが、代々続くスピリチュアリズムの大家の御曹司だったのか…)
デーモンでヘラヘラしている姿しか印象に無かったので、彼が良家の出であることや、親と喧嘩して大学を中退しホストの世界に入ったことなどを知り、無惨は興味を持った。
読み進めると特集ページで、童磨がセクシー女優と性玩具について語り合っている。
「私はコンドームがあまり好きではないんですよね。どうしても一旦醒めてしまう瞬間が訪れるので」
「その気持ちはよくわかりますよ」
「最近では、和歌山のドン・ファン研究所が、スプレー式のコンドームを開発中と聞いて首を長くして待っているんです。スプレーすると瞬時に固まってビニール状になり、あの場所をコーティングするらしいですね。あとは噴射する時の音を消すだけの段階とか。私は今か今かと発売を待っているんです」
無惨は読みながら満足げにうなずく。
(この女優、ちゃんと最先端の知識を身に着けているな。スプレー式コンドームこそ、将来のわが社の生命線だからな……ふっ、完成したらこの女に実演販売を仕掛けるか)
笑顔で続きを読む。童磨のせりふが続く。
「スプレー式も待たれますが、これだけ世の中が発達したので、いつまでもコンドームだけに頼るのも古いかも知れませんね。
例えば、コンドームを使いたく無い日には、いっそのこと大人のオモチャでお互いを逝かせあうというのもアリじゃないでしょうか。
今はいろんなオモチャが出ていて、僕は日によってファッションと同じ気分で使い分けています」
(!!!)
無惨はここまで読んで、ムカっとして雑誌をグシャっと丸め潰した。
(くそっ、童磨め……!!コンドームはもう古い、オモチャで新しい快感を得ろだと!?俺たちドン・ファン研究所のビジネスを邪魔しやがって……許せんっ!!)
しばらく立ちすくむ彼の顔に、燭台の蝋燭のあかりが反射していた。
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(21)】
夕方。「デーモン」の前に、「はとバス」の黄色い車両が続々と駐車した。
観光客の女性たちが大勢降りてくる。
「きゃあ、ここがあの有名なホストクラブなのね~!!」
「西洋のお城みたい!門も立派で、お店の前にはお花や林があって…」
20代から70代までの、服装も雰囲気も様々な女性たちがキャッキャッと記念撮影している。
「なんだ、あれは…」
カーテンを少し開き、外を見ながらホスト達が困惑している。
ネクタイを締めながら煉獄が答える。
「この不景気で、秘密主義のまま固定客で利益を上げるのは難しいと、社長が近畿地方で開拓したファンを取り込むことに決めたそうだ……丁度、辞めた童磨が「デーモン」のことをテレビで話しているし、メジャー路線に切り替えるとか……伊之助、手品の準備はいいか?」
伊之助一人が楽しくてたまらないというふうに、飛び跳ねながらステッキや鳩やトランプをチェックしている。
「何だよ、俺たちはいきなり芸人としての能力を試されるのかよ!!」
「来店客にはカラフルにリボンを結んだドン・ファン特製コンドーム箱のプレゼント、か……って、この店のコンセプトとは違うだろおがっ!!」
「しっ。伊黒支配人が来たぞ!」
「さて、手短に朝礼…といっても夕方だが…を始める。
これから「デーモン」はメジャー路線に転じる。既に飲食店の経営はどこも厳しい。うちの店も伝統を変えるしか生き延びる手立てが無い。大勢のお客様に笑って騒いで、楽しく帰って頂くように頑張ってくれ」
皆はしぶしぶ頷く。
「そのために、今日からエンタメ型ホストクラブの「恋」で長年トップを経験してきた、宇随天元氏に今日から幹部として入ってもらうことにした」
後ろから筋骨隆々の大男が出てくる。背は2メートルはあるだろうか。髪にも袖にも装飾をつけている。そして何より顔が男前だった。すっきり好みにも、華やか好みにも、万人受けの正当派イケメンである。
皆はお辞儀をする笑顔の彼を見て、ますます面白くなくなった。そしてブスっとしながら最低限の拍手をしたのだった。
「うう…うう…何かが、何かが起こるのじゃ……」
慶王大学・日吉キャンパス。
副沢諭吉像の前で夕陽を浴び、矢琶羽は今日一日、頭痛がして仕方がなかった。
そこへサイステが、ぐったりとした様子で自転車をひいて歩いてきた。
「矢琶羽、具合悪そうだな。実は俺も、朝から頭が割れそうに痛くて、チャリが漕げない」
二人はふらふらと正門まで歩き、水泳プール棟の中にあるバー「HUB」に入り、木の椅子に腰をかけた。
「今夜…何か不吉なことが起こると思うんよ」
レモネードを飲みながら矢琶羽が言う。
「俺もそう思う。「ぎんたま」で浄化除霊を始めてから一番、念を感じる」
「今日こそはジジイをヤるっ!!」
近畿地方。ドン・ファン邸。
沙紀はドレッサーの前で、ブラジャーの中に小さな白い粉の袋を押し込み、「エイ・エイ・オー!!」と自分を奮い立たせていた。
夜は邪魔者の紫紅恵が外出予定だ、ようやくドン・ファンと二人っきりになれる。
(適当に出前でも取って、その横に、塩のように見せかけたクスリを小皿に置いておこう。あとは勝手に自分で料理にかけるでしょ。くくく……)
ビー…ビー……
「副沢先生の像の方向から、何か声がするっ!!」
矢琶羽とサイステは、何かを受信し目をカッと見開き、キっと南東の方向を仰ぎ見た。
(狙われし者を救え……悪は……今から誰かの命を狙う……)
副沢諭吉像から放出される指令に驚いた二人は飛び跳ねるように席を立った。
「急げ、「ぎんたま」へ!!結界を張り、悪を退治するのだっ!!」
頭痛をものともせず、HUBを猛ダッシュして飛び出した。そして白亜の階段を駆け上り、横断歩道の赤信号にイライラしながら、日吉駅前の「ぎんたま」に駆け寄った。
「あ、ああっ!!」
「ぎんたまの周りに、あんなに人が……!!」
いつもは皆が素通りする、駅前の巨大オブジェ「ぎんたま」の前に、黒山の人だかりができているではないか。
「どいてっ、どいてくれっ!!」
二人は絶叫しながら群衆をかきわけ、中心に向かっていく。
「ちょっと、邪魔よ。わざわざ山梨からこの「ぎんたま」に来たのにっ」
スマホを手にした、大きな銀の指輪をした中年女性が不機嫌に言う。
「ここはすごいパワースポットだって、童磨が今朝のワイドショーで言っていたのよ」
「えっ!!」
二人はがっくりと腰を落としてうなだれた。
「早くせにゃあ、誰かが今夜、死んでしまうんよ……!!」
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(22)】
「皆さん、どいてくださいっ。銀製品を持っている人は絶対にどいてくださいっ!!」
皆は必死の形相で駆け込んでくるTシャツとジーパン姿の大学生二人を見て、呆気にとられている。
日吉駅前の巨大オブジェ「ぎんたま」は、矢琶羽の首飾りと反応し、念を疎通することによってその日一番邪悪な人物の邪悪な部分に衝撃を与え、世界を救う。
ただし、その近くに「銀製品」を持った人間がいると、ぎんたまの波動が邪魔され効果が弱まってしまうという欠点があった。
金持ちの慶王生が常に「ぎんたま」のそばを銀製腕時計やアクセサリーをつけて通り過ぎることから、結界を破壊されるのは常だったが、それにしても今日はひどすぎる。
サイステは、かろうじてカバンにつっこんでいた今年度の履修登録の薄い冊子を丸めて、メガホンのようにしながらどいてくれと絶叫する。
しかし今をときめくイケメンスピリチュアリスト・童磨に心酔している女性たちは、彼がテレビで語った「日吉のぎんたまこそが、世界最強のパワースポット」という言葉を妄信してなかなか離れないのだった。
異様な出来事に、その様子を複数のテレビ局の取材陣が撮影している。
「あの、何かを一心不乱に念じている男の子は誰?」
皆が矢琶羽に注目する。
ぎんたまのそばに、皆に踏まれながら四つん這いで近づき、手をかざし、必死に呪文を唱える矢琶羽を見つけてようやく、「何かただならぬことが起きている」と直感したようだ。群衆はサーっと離れはじめ、遠巻きにする。
しかし、一人だけ、様子がわからず離れない者がいた。インドからの貴族留学生である。彼は「ひようら」(日吉駅北方の商店街)でテイクアウトしたカレーを、騒動を立ち見しながら銀のスプーンで食べ続けていたのだ。
咄嗟にサイステが走っていき、流暢な英語で彼に事情を説明し、どいてもらうことに成功した。だが……
「だめじゃ…邪悪の念が、目的を遂げて過ぎ去っていくのを感じた……
「ぎんたま」とわしの結界がようやく結ばれたが、すぐに途切れた……」
苦悶の表情で、矢琶羽はガクっとうなだれた。
テレビカメラが何事かと、矢琶羽の周囲を取り囲み聞きだそうとするが、彼はただ右手のこぶしを地面に叩きつけ、肩を震わせながら悔しそうに嗚咽し、歯をくいしばることしかできなかった。
「近畿のドン・ファン死亡」
「色男の大富豪、謎の死」
速報がテレビや新聞で駆け巡ったのは翌日の朝であった。
「あっ…だめっ、無惨様っ…もっとお願いっ」
ドン・ファン山奥研究所。ヒバリのさえずりを聞きながら、農婦と別の労働にいそしんでいる無惨はその日も忙しかった。
朝の8時であるが、「働き方改革」という文字は彼の辞書には無い。
目を覚ますと、仰向けの体の上に女がまたがっていたのだからしようがない。
自分を求めて泣き叫ぶ女の疼きを救ってやらなくて、どうして日本のトップエリートといえるだろうか?
優しく笑顔で彼女の上半身を抱き寄せ、キスして洋服を下からまさぐる。
もうすでに女の中心は十分に濡れていた。彼はこれみよがしに「ドン・ファンコンドーム」をゆっくりと取り出し、のろのろと封を切り、装着するところをしっかりと彼女の目に焼き付けてから、最初はゆっくり、しだいに激しく突きはじめた。
村の有線放送のスピーカーがけたたましく響き始めたのは、そのときだった。
「ピンポンパンポーン……山奥村から、緊急放送をお知らせいたします。昨夜午後八時、近畿地方の有名実業家、野咲公介さんがお亡くなりになりました……通夜は、明日、午後六時より、ドン・ファン邸………ピンポンパンポーン…」
「!!」
無惨と女は驚いて瞬時に飛び起きる。
「野咲さんが!?確かに脳梗塞の後遺症は辛そうだったが、心臓などは特に異常が無かったのに……!!」
驚いて叫ぶ。
「なぜ、なぜなんだ。医学では説明がつかないことが起きたっ!!」
あまりの衝撃に、無惨はベッドの上で頭を抱える。
そのとき、そうっと女が彼の後方に回り、優しく背中をさすった。耳元でささやく。
「ねえ、追悼エッチしようよ……」
トロンとした目つきでたくましい背中をバックハグする。
「除夜の鐘みたいに、このコンドーム使って108回突きあおうよ。
ドン・ファンはあんなにエッチが大好きだったんだもの。お経の代わりにあえぎ声で祈りを捧げたらきっと喜んでくれると思う。笑顔で天国に羽ばたいてくれると思うんだ……」
「うむ……」
女は無惨に桃のような尻を向けて四つん這いになった。混乱した頭の中、後背位で何も考えずに交わっていると、逆に意識の奥がスッキリしてきて不思議な快感にとらわれるのであった。
翌日、ドン・ファンの大豪邸で行われた通夜の席には、業務提携していた「デーモン」から鬼舞辻社長、側近の紫紅恵、伊黒支配人が参列した。
喪主である妻の沙紀は、人目の無いところではずっとスマホに夢中で異様な光景だ。
闇夜に焼香を済ませた参列者たちがどんどん雨の中を帰宅していく。
日本庭園の一角に、にわかごしらえの休憩所があり、そこで二人の男が話し合っていた。
「どうだ?妻が少しおかしいな。南無阿弥陀仏…」
「変だぜエ。全然悲しんでる様子もないしよオ」
黒い喪服に身を包んだ、和歌山県警所属の悲鳴嶼と不死川、二人の刑事である。
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(23)】
「はー、疲れたなあ、今日も…」
深夜0時。大勢でギャハハと笑いながら、ガヤガヤと帰宅していく60代女性の軍団を笑顔で見送り、ホスト達は色とりどりのキラキラしたラメの蝶ネクタイを外した。
入口では白衣の矢琶羽が優しい笑顔できゅっきゅっとドアを磨き、調度品にハタキをかけている。
「お疲れじゃったのう」
「ありがとう。まあ、今日は楽しみな二部営業があるからな!それまでに仮眠しておこう」
ホスト達は目配せをしながら嬉しそうに頷き合い、バックヤードへと戻って行った。
二部営業。それは、始発の時間、午前5時から始まる。
主な客は、夜の仕事をしている女性たちである。とくに月末は都内の有名キャバクラの綺麗な女の子たちが大勢訪れ、日の出と共にホスト達とゆっくり楽しい時間を過ごすことが多かった。
それはキャバ嬢達にとってだけでなく、迎え入れるホスト達にとってもワクワクする時間だったのだ。
「きゃー、ひさしぶりい!!」
ドアが開くとあまりの眩しさに思わず目を細めてしまうが、それは彼女たちが美しすぎるからなのか、朝陽の輝きが強いからなのか、彼らにもよくわからないのだった。
(ドレス姿じゃなくて、普段着に戻ってからも、この子たち可愛いよなあ……)
「おいおい、あの子初めて見るなぁ!胸も大きいし、顔もすごく可愛いじゃないか?」
コソコソと陰で噂し合う。
胸元が少し開き気味のミニワンピースを着た、髪の毛がピンクと黄緑色の個性的な女の子が混じっている。恥ずかしそうに、しかし人懐っこく笑っている。
「俺あの子のテーブルに着くから」
何だよ、自分だ!とお互い牽制し合っていると、何故かサッと受付から伊黒支配人が現れた。
「良かったら最近のキャバクラの経営状況をお聞きしたいので、えーっと、そこのあなた…ちょっと支配人室でお話聞かせてもらえますか?」
その子にピンポイントで声をかけた。何だよ、いくら仕事が好きだからって、こんなときまで余計な事を……と皆が思ったのは言うまでもない。
「それでね…お店の黒服が毎日LINEしてくれるから、私にだけだと信用して好きになったのに、他のキャストの子にも同じようなことをしてて…」
店の男と情がもつれて悩んでいる女の子の悩みを優しく天元は聞いてあげていた。
その時、
「こんにちはあ。また来ちゃった~!」
驚いて見あげると、まだアルコールの抜けていない沙紀がいる。つい数時間前、午後6時から0時にたっぷりここで遊んだばかりだ。
夜の部と同じピタピタのグレーのニットが少し皺になっている。飲んだくれて帰宅し、そのまま横になって、また起き抜けにやってきたのがありありとわかった。
勿論ノリのいい、金払いのいい客は大歓迎だ!!天元は上機嫌になり、キャバ嬢の接客を猗窩座に任せVIP席へと沙紀と移動した。
「きゃははっ、さっきは楽しかったあ~。ゲラゲラ笑って騒いで踊って……」
「良かったですよ、沙紀様に楽しんでいただけて。さあまた派手に乾杯しましょう!!」
二人がシャンパンを注ぎグラスを鳴らそうとしたその時、テーブルの横に誰かがスッと立った。
「冨岡…」
そこには厳しい顔をした冨岡が、無表情で立っていた。
「デーモン」が路線変更してからも、彼はかたくなに黒スーツに黒ネクタイを守り通している。
「天元さん、沙紀さんの本担当は僕です」
「?……それはお客様の自由だろう」
「そうよ、いち使用人の分際で」
沙紀も明らかに気分を害したようだ。
「沙紀様もこうおっしゃっている。まずは心ゆくまで楽しんでいただいて、話は営業が済んでからだ……!!何をするっ」
天元が言い終わらないうちに、冨岡は彼女の手を握って、強引に廊下へと出て行ったのだった。
「うわあ、何あれ?あのイケメンホスト、あのお客にガチ恋してるんじゃないの?」
遠目にキャバ嬢たちが面白そうに歓声を上げている。
「いいなあ、かっこいいな。あたしもああいう事、やってもらいたいな…」
「ちょっと冨岡、いったいどういうつもりなのよッ」
廊下のソファにどっかりと腰をかけて、不愉快そうに沙紀がパンパンとホコリをはらいのけるような仕草をした。
冨岡は沙紀を腕組みして静かに見下ろしていたが、意を決したようにおもむろに横に座って小さな声で言った。
「沙紀様、何かあったのですか」
「何があったって…連日、関西で葬儀の後片付けしてたから、疲れただけよ」
「それだけですか…?夜のあなたも、今朝のあなたも、これまでとは全くの別人ですよ」
「なに言ってるのよ」
「普段のあなたはもっと静かだし、ゲームに夢中で人にも興味が無い。
ここ数日、やたらと大騒ぎしたり、他の客に絡んだり、何かがおかしすぎます。
僕はそんなあなたを遠くから見ていて、心配でたまらないんです。
僕に出来ることがあったら何でも言って欲しいんです。」
「くくく…嫌だあ、焦らなくてもあなたをまた指名するから、安心しなって。きゃははっ」
「違う、そういう意味じゃないっ!!」
聞いたことの無いような大声にびくっとする。さっきまでおとなしく静かだった彼は、今は燃えるような目で、沙紀の瞳の奥をえぐりとる勢いで訴えてくる。
「はっきり言います。ドン・ファンが亡くなられてから、あなたは完全に別の人格になっています!」
真っ白くなっていく意識の中で沙紀は、冨岡が珍しく十字架のピアスをしていることに気づいた。
クロスした部分に水色の石がはめ込んであるそのデザインは、三年前から流行しているアニメの女キャラがつけているものだとすぐにわかった。
朝だから誰にも注目されないと思って、密かにつけているのだろう。
しかし何故かいま、単なるグッズでしかないそれが忌まわしいものに思えてきて仕方が無い。
沙紀は衝動的に立ち上がり、場内に走って戻った。そして丁度心配して後を追ってきた天元の後ろに隠れ、冨岡を指さして大声で叫んだ。
「この男はクビよっ。クビにしてちょうだいっ!!」
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(24)】
朝の九時。空へと飛び立つ蝶のように、美しいキャバクラ嬢たちがにこやかに帰宅していくのを「デーモン」のホストたちは見つめていた。
門の外まで出、陽光まぶしい緑の中をふかぶかとお辞儀して見送った。
「疲れたけど楽しかったなあ」
「さあて、俺たちも帰るか……」
十時になると今度は主婦のお客様たちが来るが、そちらはシフトで新人たちが担当することになっていた。
「うわ、何だこれはっ」
店に戻ると、マホガニー材のテーブルの上にコンドームの箱が山積みになっている。
伊黒が説明する。
「ドン・ファンの逝去で「縁起が悪い」といって売れ行きが落ちたんだ。童磨が色んな媒体で「コンドームはもう時代遅れだ」と話していることも影響している。申し訳ないが皆で少しずつ購入してから帰宅してもらえると助かるのだが」
皆は不承不承、その山の前に列を作った。
「一箱千円か…」
ズボンのポケットから、昨夜、はとバスで来訪した老婆たちから「おひねり」として突っ込まれた、丸まっている千円札を取り出す。
「おい、お前まで、何を気取って並んでるんだよオ!」
最後尾にわけがわからず黙って並んでいた煉獄の頬を伊之助が雑草でなでる。
煉獄は「なんだとオー!」と言いながら笑って追いかける。
結局二人は「わはは!わはは!」と言いながら空き地へと飛び出して行き、追いかけっこに疲れると全て忘れてそのまま帰っていったのだった。
「冨岡」
ロッカーを空にし、荷物を全て大きなバッグに入れて帰ろうとしているジーンズ姿の背中に、伊黒は声をかけた。
「いろいろ複雑な事情に巻き込まれたお前を、守れなくて悪かった。
これは餞別だから持って帰ってくれ」
紙袋にドン・ファンのコンドームが10箱、ラッピングされたものが入っている。
「俺はいりませんよ。お気遣いありがとうございます」
「彼女と会う時、いるだろう?」
冨岡に彼女……(多分、いないだろう)……と思っていたが決めつけては失礼なので「存在している」という前提で伊黒は自然に話した。
冨岡は横目でそれらを一瞥し、すぐに前を向いた。
「……彼女とは……必要無いので……」
冨岡はそう言い切ると、訝しむ表情の伊黒に深々と一礼して帰っていった。
(のろけにしては無表情だったが、何故だろう……まあ、いいか)
ホスト・冨岡義勇の姿を「デーモン」で見るのは、それが最後となったのだった。
そのころ猗窩座は、ずっと泣きべそをかいているキャバ嬢の愚痴を聞き疲れながらも、親切に最寄り駅まで送るために並んで歩いていた。
ようやくスーツを脱ぐことができ、シャツにチノパンで楽に歩けることだけが救いだった。
男なのに几帳面な猗窩座は、アイロン掛けが必要な服を好んで良く着ているのだ。
朝の商店街はまだ静まり返っている。
「キャバクラのボーイが、キャストの女の子に近づいて色管理するなんてことは日常茶飯事ですからね……その男のことは忘れて、店も辞めた方がいいかもしれない」
「…でもまだ、無理して出た大学の奨学金が返せてなくって……」
「数百万背負ってるのか…確かに辛いですね…」
彼女はキャバ嬢にしてはスカート丈が長めだった。昼から事務の仕事もしているらしく、夜一本で生き抜いてきた女とは服装も思考も違うようだ。
ようやく改札で別れた頃には、笑顔のバイバイを引き出すことができていた。
猗窩座は心底ホッとしてアパートの方向へ歩き始める。
その時、大通りの向こう側を歩いて来る、スーツ姿のシク美が目に飛び込んで来た。
朝の光の中、紺色のファッションに似合うように、店では下ろしているロングヘアをしっかりと結い上げて、黒いハイヒールで歩いている。
「……!!」
猗窩座はしばらく立ち尽くしてシク美の姿に見とれていた。
その時、同僚らしいスーツ姿の男が二人、彼女に駆け寄っていくのが見えた。夜の仕事の男たちが着ているものとはどこか違う、シックなものだった。
猗窩座は、太陽の光で輝く髪の毛とシク美の笑顔が、彼らと一緒に遠くへ去っていくのをいつまでも眺めていた。しばらくしてようやく薄暗い道へと向きを変えた。
「あっ……やだ…こんなの」
沙紀のマンションの広いベッドルームで、無惨は彼女の乳首に舌を這わせていた。
床にはハチミツの瓶が転がっている。
「こうやって味をつけると、君の体が堪能できるからね……」
ドン・ファンが亡くなってから、無惨は状況が許す限り毎日、沙紀の部屋へとやってきて荒々しく体を求めている。
その愛撫は日々丁寧になり、沙紀の髪の毛からつま先まで電流を走らせ、新しい充足感を与えてくれるのだった。
「もう、あれを着けるのもやめてね……だってもう私、独身なんだもの」
お互い手足を絡めて深く抱きしめ合いながら、沙紀はゆっくりとお願いする。
「だめだ…俺はドン・ファンを心から敬愛しているからな。俺と彼をつなぐたった一つの絆がこれなんだよ…」
昨日沙紀は社長に就任し、3800万円が彼女の口座に振り込まれた。
無意識のうちに無惨は、これまでのドン・ファンへの執着を沙紀に向け始めたようだ。
それが女性経営者への尊敬の念なのか、カネ絡みの情欲なのかは誰にもわからない。
「ああっ、いや、そんなところを舐めないで!!恥ずかしい!!」
沙紀は反射的に両腕を下方に伸ばし、彼の髪をつかむ。男の舌は彼女の蕾をとらえて離さない。
「綺麗だよ、沙紀……」
カーテンからは陽光が差しているが、もはや獣と化した二人の時計は、快楽という瞬間を指す針のところで止まったままである。
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(25)】
和歌山県警・刑事部。
ホワイトボードには大きく「近畿のドン・ファン殺害事件」と書かれている。
その下には大きくドン・ファンの妻の沙紀と、家政婦の紫紅恵の写真が貼られている。
「死亡当日犯行可能だったのは、家に居たこの二人しかいないよなァ」
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
刑事の不死川と悲鳴嶼はワイシャツの袖をまくりあげて、捜査資料の山を見ながら考え込んでいる。
「死亡数日後には、愛犬ラブを偲ぶ会が予定されていた。招待客は100名、南紀白浜空港から音楽隊のパレードつきという豪華な会だ。自殺は考えられない」
「台所からはクスリの反応も出ているしなァ」
「離婚話で金が無くなることを阻止したかった妻の犯行だろう。今は喪に服すでもなく、東京でホストクラブに通い詰めている」
「ホストクラブのことは調べてんのかァ?」
不死川が椅子にどっかりと腰かけたその時、誰かがノックして部屋に入ってきた。
「お疲れ様です。帰ってきましたっ!」
婦人警官の彼女を見て、悲鳴嶼はほっとした表情になった。
「おお、甘露寺。例のホストクラブ「デーモン」のことはわかったか?」
「何故か支配人に誘われて別室に通され、ずっと一対一で話しました。私が刑事だということを勘づかれた恐れがありますが、キャバ嬢たちに協力してもらって写真や情報を集めてきました」
「早速聞かせろォ」
甘露寺は黒いファイルの中から書類や写真を取り出した。
「ドン・ファンの妻はデーモンで既に600万以上の散財をしています。
美形で有名な冨岡義勇というホストに入れあげて大金を貢いだともっぱらの噂です。
そして彼はドン・ファンが急死した直後、突然店を辞めて行方をくらましました。
殺害計画の首謀者である可能性は高いです」
冨岡の写真を取り出す。二人が覗き込む。
「へェ…これが女から大金を引き出す男のツラかァ…」
隣にいた刑事も頷く。
「こいつが大富豪の妻ににじり寄って、心も体もズブズブに漬け込んだんだろうな…」
甘露寺が続ける。
「他に、イケメンスピリチュアリストで有名な童磨。高校時代に都内の不良集団を仕切っていた猗窩座。彼らも彼女と店外での目撃情報があり、要監視対象者です」
日吉ののどかな午後。慶應義塾大学キャンパス。
矢琶羽とサイステは、そびえたつ銀杏並木の左側にひっそりたたずむ「副沢諭吉像」の周囲を、トランス状態になりながら両手をひらひらさせて踊っていた。
(あのドン・ファン殺害の日、この辺りから声がした……)
二人はもう一度、何かのお告げを欲しいと思っていたのだ。
(ピピ……ピピピ……)
「な、何かを受信したぞ!」
二人がカッと目を見開き諭吉像を仰ぎ見ると、遠くから警備員がやってきた。
「あのー、学生さん。ここから離れてくださーい。副沢先生の像にイタズラすると退学になる決まりですよー」
「くっ……」
二人は仕方なく、ベンチに置いていたリュックを背負い、日吉駅の方向へと歩き始めた。
その時、サイステのジーパンの後ろのポケットに入れた財布が、モゾモゾとひとりでに動き始めた。
「な、何だ!?」
慌ててサイステが分厚い二つ折りの財布を取り出してみる。一万円札の副沢諭吉先生の目の部分だけがピカピカと銀色に点滅し、光っている。
「えっ!!」
二人が驚くと、スーッとその紙幣は上空に浮かんだ。そして、パタパタと舞いながら平仮名を表示した。
「は・ん・に・ん・は・し・り・あ・い・に・い・る」
そしてそのまま紙幣は力尽きたらしく、弱弱しくサイステの手の平にポトリと落ちた。
「!!」
二人は顔を見合わせた。沙紀様は昨夜デーモンにやってきたばかりだ。日に日にアル中のようになり、目はうつろになり声も酒焼けしてきている。
「まだお告げを聞きたい!矢琶羽、お前の一万札を出すんだ!」
「わかった」
矢琶羽はリュックから黒い財布を出したが、よく見ると500円玉と100円玉しか入っていなかったのだった。
「童磨……」
夜の9時にインターフォンが鳴り、何事かとドアスコープをシク子が覗き込むと、そこにいたのは数か月前に黙って彼女の前から姿を消したはずの童磨だった。
複雑な感情を胸に仕舞いながら、そうっとドアを開けた。
「久しぶりだね、ずっと会いたかったんだよ、シク子ちゃん」
「……イケメンスピリチュアリスト童磨さん、すごい活躍ぶりだね」
怒ろうか喜ぼうか。シク子は瞬時の判断で、前に別れた時と同じテンションから始めることにした。動揺を隠そうと、思わず伏し目がちになる。
「あなたはいつも突然だね」
冷蔵庫を開けるシク子の声が聞こえているのかいないのか、まだ二度目なのに物慣れたふうで部屋に入ってきた童磨は、窓際のカーテンレールに掛けてあったクリーニング屋の針金ハンガーにジャケットをつるした。
一目でわかる、アルマーニのジャケットだった。
突然の再会になるとわかっていたら、駅前で評判のケーキでも買っておいたのに。
いや違う。これで良かったんだ。
あたしはそういうことをやってきたから、男に舐められてきたんだ……
考えがまとまらないまま、震える手でマグカップにコーヒーを入れた。
童磨は勧めてもいないのに、カーペットの上にあぐらをかいてちょこんと座っている。
「はい、コーヒー」
「ありがとう。シク子ちゃん、優しいなあ」
にっこりあどけなく笑う童磨の瞳に、変化や秘密が無いかを探る自分がいる。
一度押し倒されただけで、彼女でも何でもないというのに……。
「今日はどうしたの」
「この近くの心療内科に睡眠薬を取りにきたんだ。シク子ちゃんのマンションの窓の灯りを見て懐かしくなったんだよ」
「ふふふ。勝手だね……でも体は心配だよ」
「悲しい悩みを聞くのがしんどくて。有名になるにつれ、事故や事件にイジメや虐待、重い話ばかりになっちゃってね」
「大変だったんだね……」
「親切な人が赤ちゃんを預かった日に地震が起きて、その子が亡くなってしまった。
誰も悪くないのに、理由を探してその人も親も泣きながら理由を聞いて来る。
自分たちが前世で何か罪を犯したから、あの子が死んだんじゃないかって……。
その話を聞いた日の晩から、僕は疲れているのに全然眠れなくなってしまったんだ…」
「可哀想に…」
その時、いきなり童磨の唇がシク子のそれを塞いだ。ミントとコーヒーが溶け合う香り。
しなだれかかって抱き着いて甘えてくる。そして洋服をまさぐってくる。
「お願い、シク子ちゃんといると安心して寝られそうだから…今晩泊めて。俺を抱いてよ…」
シク子は咄嗟に立ち上がり、乱暴にハンガーから彼のジャケットをつかみ取ると、童磨を引っ張って玄関のドアを開けた。
そして外へと、両腕で力の限り突き飛ばした。
「雑誌で言っていたように、女とはじめて愛し合う日は、アクセサリーを持って海の近くのフレンチに行ってからじゃなかったのっ!?」
涙声で叫び、バタンと乱暴にドアを閉めた。
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(26)】
沙紀は目を覚ました。側にはふかふかのベッドがあるのに、ワインの空き瓶とカップラーメンのゴミ、ポテトチップスの空き袋が散乱している床の上でだ。
ゴミ箱の中に新聞紙に包まれた使用済コンドームがあり、そうだ、昨夜も無惨がここにやってきたのだったと、朦朧とした意識の中で思い出した。
「朝までいてよ」
「悪いが、朝飯は家で紫紅恵と食べるから」
何度そのやり取りがなされたことだろう。彼は常に真っ暗なうちに帰宅していった。
「お手伝いの紫紅恵さんとはどういう仲なの」
「だから彼女からも聞いた通りだ。お互い六歳と十三歳からの主従関係だ」
「ヤったの」
「君の頭にはそれしか無いのか?あの女を見ればわかるだろう、そういう種類の人間じゃないだろう」
そういう種類……男を咥え込むことしか考えていない女のことか。
そう、自分みたいな。
なげやりな気分になり、気分を変えるためにテレビのリモコンを手に取る。
「有名実業家、近畿のドン・ファンがお亡くなりになって一か月…依然として手掛かりはつかめないままです」
自分が住んでいた家の塀がワイドショーに映し出されるのを見て、沙紀は不思議なフワフワとした気持ちになった。
頭痛がおき、二日酔いに耐えながら考える。
入籍していない、身体の関係が無いというだけで、無惨と紫紅恵は事実上の夫婦じゃないか。
そのことに気づいていないのは当の二人だけなのだから、ばかばかしいったらありゃしない。
(ドン・ファンを葬り去った、これでようやく太陽の元に出られるとおもったら、今度は不倫かよ…)
シク子のマンション。
ドアを荒々しく閉めたあと、彼女はしばらく内側でたたずんでいたが、
(もうこのまま二度と童磨に会うことはできないんだ…)
そう思った瞬間、慌ててバターンとドアを開けた。
マンションの通路はしんと暗く静まり返り、電灯だけがまたたいている。
「童磨。童磨。待って!待って!ごめんなさい、ごめんなさい…」
全力で慌てて階段を駆け下り、彼の名を呼んだ。
夜の大通りは静まり返り、もう誰も歩いていなかった。
シク子は悲しくなり、とぼとぼと肩を降ろして歩き、公園のベンチに放心状態で腰かけた。
「ごめんね…あんなに苦しんでいたのに。困って悩んでいる人たちのために心をすり減らして…わかってあげられなくてごめんね。
狭い心で嫉妬なんかして…うっ、うっ」
ポケットに入れていたスマホの待ち受け画面は、デーモンで撮影した童磨の笑顔だった。
テレビに出るようになり洗練された今よりもあどけなくて、無邪気にグラスをかたむけている。
シク子の謝罪を聞いているのかいないのか、彼はずっと笑ったままだ。
その瞬間、誰かがふんわりとシク子を後ろから優しく抱きしめた。
懐かしい香りがする。ずっと夜に嗅いできたポーチュガルのオーデコロンの香り。
「ありがとう、シク子ちゃん」
シク子の目から涙がこぼれ落ちた。
温かい腕に全てをゆだねる。
「もう、離さないよ」
童磨はシク子の頬にそっとキスをした。
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(27)】
寄り添い手をつないで、これまでにないぬくもりに満ちた二人はシク子の部屋へと戻った。
さっき入浴した後お風呂の保温をそのままにしていたので、童磨にバスソルトを入れてリラックスするように勧める。
温まった彼がバスルームから出てきたのを見て、シク子は髪の毛をふわふわのタオルで拭き、優しくドライヤーをかけた。
「シク子ちゃん…」
うるうるした瞳で童磨がシク子を見ている。
大判のバスタオルを彼の肩から掛け、ベッドの上にそっと座らせて、子犬をかかえるように笑顔でそっと抱きしめた。
「辛かったよね、たいへんだったね。今日は何も考えずにここでゆっくり休んでね」
いきなり芸能界で売れて、連日見知らぬ人たちの苦悩を聞き、前世を教え、自分の心のエネルギーをすり減らしている彼のことが可哀想で仕方がなかった。
自分の命と魂を削って皆の相談に乗っているのだ。
ゆっくり肩を揉み、なでて、そして唇にキスをした。
「あっ……」
軽くチュっとするつもりが、いきなり童磨に唇をくわえられて、舌をねじこまれてきてびっくりする。
密着した頬からは、上気した童磨の体温がじかに伝わって来る。
はあ、はあ…しばらく二人は抱き合いながらお互いを絡ませあった。
シク子の頬のところにあった彼の大きな手のひらが彼女の肩をさすりながら移動して、そしてブラジャーの肩紐へと降りてきた。熱のこもった指で撫でられた部分に電流が走る。瞬く間にそれはひじのあたりまでずらされた。
もう片方の腕は背中へ伸び、ホックを外す。
「いや……どうして。疲れているんじゃなかったの…」
かすれた声で抵抗するが、童磨はいやいやをするように、シク子の頬に自分の頬をこすりつけてくる。
いつの間にかベッドに押し倒される形になった。
「シク子ちゃんって、あんがい見た目より胸があるよね…」
そのまま鎖骨へと熱い唇をじっとりと這わせてくる。
「何言ってるの」
彼の腕をふりほどこうとしてもびくともせず、ようやく今一緒に抱きしめあっているのが子犬ではなくて、重たい大人の狼なのだということに気づくが、その時にはもう遅かった。火照った体が自分を窒息させようと巻き付いてくるようだ。
「いつも夜に店で抱き着いてきたり、胸の谷間を見せつけてきて…どんなに困ったと思ってるんだよ」
乳首を固い舌で転がし、舐め回しながら彼が言う。舌ピアスの刺激に思わず声をあげそうになるのを必死でこらえる。
「そんなつもりないよ。あなたが背が高いから、見下ろしてただけでしょう」
遠のく意識の中でよわよわしく答えるが、聞こえないかのように彼は続ける。
「これでもかと焚きつけて帰っていったあと、俺が1人で夜中、どんなに悶々としていたか知らないんだろ。男に長い間そんな思いをさせるとどうなるか、今からたっぷり教えてやるから…」
乳首を下から指の腹でゆっくりとこすり上げながらつぶやく。シク子は、思わずあっ、あっ…と声を漏らした。
「前にうちに来た時もそういう気持ちだったの…?」
目を閉じてかすれた声でつぶやく。
「家でむらむらしてたら、シク子ちゃんが煉獄君の誕生日祝いで遊んでいたと聞いて、
飛んできたんだよ…もう絶対に抱きしめて俺を入れちゃおう、入れてやるんだ、って」
そう言いながら彼はシク子の腰を自分の両脚でがっちりと押さえ、下着の布越しに指を這わせてくる。
最初はゆっくりと、次第にすこしずつ奥深くへと……恍惚とした彼女は顔をゆがませる。
童磨が耳元に息を吹きかけるように囁いて来る。少し笑うかのように、
「嬉しいんだね、シク子ちゃん。露みたいにすごく濡れてるよ……俺もだよ…」
もうその時には全身の力が抜けており、彼女は男の体重を感じながら、全てを彼に支配されていたのだった。そして、最後まで身体を守っていた小さな布ははぎとられた。
「いやっ…」
「だめだよ、きれいなんだから、大人なんだから…しないと…俺にしてもらわないと…」
そこに今度はぐっと固い彼自身を押し付けられる。
「んっ…!!」
それが自分の中に入って来る。意識が真っ白くなり遠のいていく。
「いま…入ってるよ……」
激しい息遣いで苦しそうにそう言うと、男は最初はゆっくりと、そして次第に速く動きはじめる。
いったいどのくらい続いたんだろう。
彼の腰が動くたびに空から吊るされたブランコに乗って、ふんわりと引き揚げられ、天国という場所に少しづつ近づいていくような感覚がする………白い空間にぱっと浮かぶたびに、彼がすぐにぐっと掴んで、またもっと真っ白いところに引っ張ってゆく。
知らないところへ着くたびに、すぐにまた知らないところへ連れていかれる。
シク子は全てをゆだねて大きな快感を得たのだった。
朝の9時。
矢琶羽はいつものように清潔な白衣を身にまとうと、デーモンの門扉を水拭きし、扉の外の落ち葉をホウキで掃くという日課を笑顔でこなしていた。
その時、上空から波動が送られてきた。
(ピピ…ピピピ…)
「えっ!?何かの警告か?」
驚いて前方を見ると、通りの向こう側から水色のシャツに「POLICE」と書かれたベストを着た男たちがやって来るではないか。
「な、何かね」
「どうした!」
伊黒支配人も受付から飛び出してくる。
彼らの先頭にいたワイシャツ姿の男が、一枚の紙を高く掲げる。
「近畿のドン・ファン殺害事件に関して、この店に家宅捜索令状が出ました」
「えっ……!!」
家宅捜索には一切抵抗できないという法律がある。
二人はただ立ち尽くすことしかできなかった。
呆然としている伊黒と矢琶羽のほうを見ることもなく、10人ほどの捜査員がズカズカと一斉に店内へと入っていったのだった。
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(28)】
「デーモン」に家宅捜索が入ったという情報は、昼のニュースに映し出された。
「今朝から港区の超高級ホストクラブで家宅捜索が行われています。
この店には先日不審死をとげた近畿のドン・ファンとその妻が頻繁に訪れていた形跡があり、何らかの関わりがあると見られます」
パソコンのデータを数人が全てチェックする横で、他の捜査員たちはルーペや試験薬で必死に絨毯やソファを調査し、テーブルの指紋も確認している。
「おい、クスリが付着している可能性もあるからな。あそこのホウキも押収しろよ!」
捜査員が無造作に手を伸ばした。
その瞬間、
「やめんさい!!」
白衣の矢琶羽が飛び出してきてとっくみあいの喧嘩になった。
「このホウキは、伊黒支配人に頼んでわざわざ岩手から取り寄せた最高級のホウキなんじゃ!気安く触りなさんな!」
九戸村という所にしか育たない、オホーツクからの北風に耐えてきれいに縮れたホウキモロコシで作られた16万円の美しいホウキを抱きしめる。
「ぐぬぬ……若造め!」
数時間後。広いホストクラブをくまなく捜査した警察官たちだったが、ついにネをあげた。
「ここはあまりにも清潔すぎる。ドアやテーブルには裏側まで指紋一つなく、食器もピカピカ。毛髪の一本も落ちていない。
普通なら飲食店のフロアの絨毯からは毛髪や食べこぼしの跡が見つかるはずだが、張り替えたばかりのように美しい」
そう言い残すと、すごすごと帰っていった。
同時にテレビの画面の上部には、「有名ホストクラブ 事件とは無関係と立証される」と速報のテロップが流れた。
がらんとなった店内で、ホスト達は皆で矢琶羽を囲む。泣きながら言う。
「毎日矢琶羽が清潔に磨き上げてきたおかげで、すぐに犯罪と無関係だと立証され、悪いイメージがつくことを回避できたよ!ありがとう」
「もしこれがゴミや汚れ、毛髪鑑定で数日かかっていたら、その間に世間でのイメージが固まり風評被害につながるところだった」
「矢琶羽がデーモンを救ってくれた!!」
いつも笑っている煉獄と伊之助すらも、目を真っ赤にして涙ぐんでいる。
注目されることがあまり好きではない矢琶羽は、いつものように優しい悠然とした微笑みで一礼すると、すぐに純白のクロスを取り出して外へ行き、夕陽がまぶしく反射する『デーモン』の表札をきゅっきゅっと磨きはじめた。
同時刻。沙紀のマンション。
同じように家宅捜索令状を突き付けられた彼女は全くひるまなかった。
捜査官たちへの意地悪とセクハラで、わざと脱ぎ散らかしたセクシーなランジェリーを床に敷き詰め、彼らが動揺するのを見て面白がっていた。
(この東京のマンションから何も出るわけないもんね……刑事ドラマみたいで面白いから、
のんびり見物でもするか)
腕組みし足を組んで椅子に座り、忙しそうな彼らをニヤニヤしながら眺める。
とりあえず年老いた夫を愛していたポーズを取るため、ベッドサイドにはドン・ファンと自分が笑顔で頬を寄せ合っている写真を100均で買った写真立てに入れて置いておいた。
その前には適当な皿の上に泥を丸め、線香に見立てた極細ポッキーをチョコの部分しか見えないようにブスっと突き刺してあるから安心だ。
彼女はほくそ笑んだ。
またまた同時刻。
秋葉原のアニメショップ。
段ボールを運び棚に商品を並べる背の高い店員に、背後から男が声をかけた。
「すいません~。このアニメのコーナーはどこですかア」
話しかけられた冨岡は、その客が持っている本を見て顔をパッと輝かせた。
自分が三年前から推している女の子のキャラの作品だったからだ。
「この作品のものは、奥の隅っこにコーナーが作ってあります。どうぞ」
青いエプロン姿で案内する。
サラリーマンらしきその客は嬉しそうについてきた。
「うわー、すげえなア。原画集やグッズまで置いてあるなァ」
顔に大きな切り傷の跡がある男が歓声を上げるのを聞き、冨岡はとても満足だった。
いつもは無口で人見知りな彼だが、心がほぐれるのを感じた。
「お客さんもこの作品のファンなんですか?実は僕もなんです。ずっと前からこのキャラが好きで。来週も声優さんのイベントがあるから今からもう待ちきれなくて」
笑顔で饒舌に話す自分を、その男がじいっと見ているような気がしたが、それはきっとキャラ愛に共感してくれたからだろう、と冨岡は思った。
「奇遇だなア。おれもそのイベント行くんですよオ。良かったらご一緒しませんかァ?」
捜査の一環でアニメおたくに成りすまして冨岡と仲良くなる。そんな無茶な作戦がこんなにも上手くいくとは思わなかった。
刑事の実弥は振り返る。
頑張って興味の無いアニメの話と登場人物を頭に叩き込んだ甲斐があったというものだ。
一緒に彼が好きなキャラの声優のイベントに行き、翌週はコミケに行き、その翌週は舞台になった郊外の街まで遠征に行った。
会ってから別れるまでずっと楽しそうに話す冨岡に、実弥は
(この男、プライベートはずっとアニメの世界に浸かってるのか……)と意外なものを感じた。
捜査本部で写真を見た時の印象とはまるで違う。
今と同じようにこのアニメのグッズのピアスをつけていたが、もっと大人びた雰囲気だった。
いわゆるリア充で世渡り上手で、洒落た世界の住人だろう……と見ていたのだ。
だが、じっさいに会ってみると外見は目立つが、アニメ以外のことでは物静かな、誠実な人物だ。
クスリや犯罪に関係しているようにはとても思えなかった。
紫陽花の花が見える鎌倉のカフェ……そこは冨岡が好きな女キャラが通い詰めていた設定の店だ……で紅茶を飲みながら、ずっと彼は楽しそうに作品のことを話し続ける。
「あのー」
見あげると、横に可愛いセーラー服の女子高生二人が立っている。
「お兄さんたちも、あのアニメのファンなんですか?私たちも大好きだからここに来たの。ご一緒してもいいですか?」
ずっと二人で話し込んでいて退屈だったのもあり、実弥はどうぞ、と言おうとした。だがその時、
「悪いけど今ちょっと忙しいから。また来週どこかで会えたらよろしくね」
瞬殺で断るではないか。
実弥は、がくりとうなだれた。。
(おいおい……せっかく声かけてくれたのに、失礼だなア。しかも来週も聖地巡りするのかよオ………)
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(29)】
六月三日。
瀟洒な洋風建築の「デーモン」の門には、「CLOSED TODAY」と書かれた看板が出された。
基本的に盆暮れ正月も営業し続ける「デーモン」だが、「無惨の日」であるこの日だけは休業の告知を出し、中では全ホストとクリニックの男性従業員達で、鬼舞辻社長の記念日祝いを行うのだ。
「無惨様、おめでとうございます!!」
「無惨様、万歳!!万歳!!」
声の良く通る煉獄が乾杯の音頭を取る。
この日だけはホスト達全員の前に豪華な料理が並び、最高級のワインが惜しげもなく開けられる。
ずらりと正装して並んだ彼らを一段高い場内のVIP席から見下ろし、無惨はほっと一息つく。
「やれやれ、男ばかりの場所は安心するな……普段はベルトコンベアーのように次から次へと女が目の前に運ばれてきて、満足させるのに気力も体力も限界だからな」
満足気にロマネ・コンティを傾ける。
その時、誰かが
「無惨様っ。今、外の空き地に豪華なシャンパンタワーがつくられています!!近畿のドン・ファンの沙紀様からの記念日祝いです」
驚いて皆で外に出てみると、門の外の緑の木々のスペースに趣味の良いシートが置かれ、その上に大きなテーブルがあった。
そしてその上には、月光を反射してゆらめく、ピラミッドのような超巨大シャンパンタワーが無数の輝きを放っている。
何千個ものグラスがキラキラと輝き、美酒の味をさらに際立たせるかのようだ。
「す、すごい!!」
「俺はホスト歴は長いが、こんなに巨大なものは初めて見たぞ」
「これは…5千万円はするかもしれないな…」
皆が驚いている。
乾杯し、星空のもと、夜の涼しい風に吹かれながら、普段はできないホスト同士の雑談に花を咲かせた。
その時、無惨の携帯が鳴った。
「もしもし、沙紀です……記念日のお祝い、気に入っていただけたかしら?」
「沙紀さん、ありがとう。皆で喜んでシャンパンをいただいているよ。感謝している」
「じゃあ、そのお礼に、深夜になってもいいから私のところへ来てね……」
深夜。沙紀の部屋。
「もちろん、俺を呼んだからには、君の望みはこれだろう?」
シャワーを浴びるやいなや、無惨は沙紀の頭をぐいっと下に押して、家畜かなにかのようにひざまづかせた。
おもむろに下着の中から、自分の男性のシンボルをむき出しにし、そそり立ったそれを彼女の口のところへと持っていく。
「ありがとうございます…ご主人様…」
彼女は口を大きく開けてそれを迎え入れる。
部屋には蝋燭の灯りがゆらめき、二人の淫靡な姿がピンク色のカーテンに、大きな黒い影となって映し出された。
上機嫌の無惨は、たっぷり奉仕させた後、彼女の腰をつかみ、望み通りに自分のものを後ろから押し込んだ。
「ああ…待っていました…ご主人様…ご主人様…」
快楽に満ちた夜が更けていく。
「夜中の3時だわ……」
無惨のタワーマンション。ダイニングテーブルに突っ伏してうたた寝をしていた紫紅恵は、エプロン姿のままふと目を覚ました。
水を飲もうと冷蔵庫を開ける。
中には昨日、一日がかりで作った、ホールの苺のショートケーキが冷やしてあった。
(生クリームを綺麗に平らに塗るのは、簡単に見えてものすごく大変なのよね……
坊ちゃまが喜んでくれると思ったのに、今日は朝まで帰ってこないのかも知れないわね…)
カロリーを気にする無惨のために、低脂肪乳のクリームに、砂糖を控えたスポンジで作った特製ケーキを眺めて少し寂しくなる。
しかし明日はこれを笑顔で頬張ってくれるだろうと思うと、ひとりでに笑みがこぼれて温かい気持ちになってくるのだった。
紫紅恵はシャワーを浴びに、バスルームまで行った。
本来なら通いの家政婦である紫紅恵は入浴することは少ないが、留守の時には使っても良いと無惨から言われていたのだ。
髪と身体を薔薇の香りの洗浄剤で洗った後、バスタオルで拭き、彼女は普段から持ち歩いている下着をつけた。
不規則な仕事の関係上、常に着替えを持ち歩いているのだった。
ピンクのブラとショーツ姿で、ドライヤーの熱風を浴びていると、ようやく体の冷えが取れてきた。
その時、
「あっ!すまん!紫紅恵、まだいたのか!」
ガチャリと洗面室の扉が開き、驚いた無惨と目と目が合った。彼は顔を赤らめてすぐに扉を閉めていった。
「無惨様……」
動揺を隠すためなのか、あるいはこんなことには慣れているのか、着替えを済ませた紫紅恵が彼を探すと、無惨はテラスに出て夜空を眺めていた。
初夏の日の出は早く、うっすらと東の空が明るくなりはじめている。
紫紅恵はそっと無惨の横に立った。
「きれいですね、東京の夜明け」
「そうだな」
無惨はにっこりと笑う。
「坊ちゃまのために、大好きな苺のショートケーキを作ってありますから、お休みになったらあとで食べてくださいね」
紫紅恵も微笑む。
「では、そろそろ始発の電車が来る時間だから、私は帰りますね……坊ちゃま、昨夜もお疲れ様でした」
お辞儀する彼女の腕を、彼はぐいっと引っ張った。
「ありがとう、紫紅恵。お礼に…」
「お礼?」
無惨は愛しそうに紫紅恵を眺めると、ふいに唇に優しくキスをしたのだった。
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(30)】
「どこへ行っても人殺し、人殺しって根も葉もない陰口を言われて……」
昼下がりの緑が眩しい表参道のカフェで、ピタピタのニットにサングラス姿の沙紀はそう愚痴る。じっと頷きながら聞いているのは黒死牟という男で、最近になって沙紀のもとへ側近として派遣されてきた男だ。
表向きは探偵会社経営ということになっており、高級そうなスーツを着用している。
背の高いモデルのような二人が向かい合って座る姿は絵になっており、周囲の客がチラチラとこちらを盗み見ている。
つい先日、沙紀は無惨に電話であたりちらしたばかりだ。
「どうして会いにきてくれないのよっ。もとはと言えばあなたのホストクラブで散財したことが、ドン・ファン死亡につながっているのよ!?」
無茶な言いがかりで訴えたが、彼の声は軽い。
「俺の長年の運転手をしていた黒死牟という男を遣わすから、何でもそいつに頼めばいい。非常に有能で冷静で、何でも人並み以上にできるからな」
「他の人?嫌よ、あなたでなくちゃ」
「俺はコンドーム実演販売で山を開拓し終えて、紀伊半島を横断してしまった。
今は海の女たちを抱くので忙しいんだ。夜明けに漁船が出ていく前に満足させてやらなくてはならない……」
電話はすぐに切れた。
ボスの命令に従順な黒死牟は、沙紀がワガママで気まぐれであっても表向き文句は言わない。
その日も(また泣き言を聞くのか)と気持ちは晴れないものの、ちゃんと待ち合わせ場所へとやってきて、感情はおくびにも出さなかった。
沙紀に指定されたのは五反田に最近できたビルの中のカフェだった。
(まさか東五反田一丁目の風俗街で働きたいとか?)と思いながら着席すると、いつになく沙紀は上機嫌だ。少女らしいファッションは嫌いかと思っていたが、珍しくピンク色のワンピースを着てポニーテールにしている。
「ねえ、あなた探偵事務所も持っているんでしょ?お願いがあるのよ」
「浮気調査専門のようなものですがね。依頼とは何でしょう?」
「ジャリーズ事務所のRing&Princeっていう有名なアイドルグループ知ってるでしょ?そこのメンバーの炭治郎くんと仲良くなりたいの……♡」
未亡人だというのに、まるで女子中学生のように頬を染めている。
事の次第はこうだ。
世間からの注目に、警察からの取り調べ。
逃げ場のない毎日の中で沙紀はテレビや動画の世界に逃避するようになった。
一つのアイドルグループが目に留まる。
美少年ばかりを集めているジャリーズ事務所の中でも、スタイルが良くダンスの上手いエリートの新人を集めた集団だ。
沙紀はその中でも、剣道の全国中学総体で優勝した経歴を持ちながらも控えめで優しく、派手なメンバーの後ろで微笑んでいる可愛い炭治郎の大ファンになったのだった。
「芸能人の追っかけの依頼は受け慣れているから、もうデータは取得済ですよ。
トーク上手で一番人気の善逸だと引っ越し回数が頻繁ですが、炭治郎のほうはまだ、そこまで追いかけ回されてはいません。
今は隣の駅のそばのタワマンに住んでいます」
「キャッ!!やっぱりそうだったんだあ。私なりに彼のインタビューを分析して、東京南部のこの辺りに住んでるだろうなと目星はつけていたのよ!!」
沙紀はその足で億ションを運営するディベロッパーに連絡し、黒死牟の名義を借りてそのタワマンを契約した。
彼女はエルメスのバッグから惜しげもなく数百万をポンとバッグから取り出した。亡き夫に仕草だけは似て来ていた。
そして「お礼にベンツあげるね~♡」と黒死牟に対して、まるで飴か何かを渡すように車のキーを渡してきたのだった。
ジャリーズの迷惑ファン「やらかし」たちは奥が深い行動をする。
マネージャーよりも先に芸能人の予定を知っていたり、コンサートの舞台に駆け上がって果物を渡して来たり、自宅の郵便受けに使用済の生理用品を入れて来たりする。
だからといって同じ高級マンションに住み、嫁の座を狙うほどの「やらかし」はそうそういない、と断言していいだろう。
ファンクラブ会員になり、おしゃれをして年に数度のコンサートに行き、手作りで応援グッズを作ったりする……それにはお金も時間も、十分な余裕が無くてはならない。
「ごく普通のファン」になるだけで、それなりに大変なことだからだ。
ビジネス街にそびえたつタワーマンションの、豪華なゴールドを基調にしたエントランスを沙紀は夢見心地で歩き、自分の階へとのぼるエレベーターのボタンを押した。
あの炭治郎と隣の部屋を借りてくるとは、さすがは無惨が全幅の信頼を寄せる黒死牟だけのことはある。
部屋に到着してからも、沙紀は用も無いのにドアを出ては通路をうろうろ歩くという行動を繰り返した。
不在がちのセレブばかりが借りているのか、広々とした通路はどこかヒンヤリしている。
そのとき、男性三人が向こうから歩いてくるのが見えた。
真ん中の男の子は目深にキャップをかぶり、サングラスをしている。両脇には屈強な男がボディガードのように控えている。
彼らは無言のまま部屋へと入っていった。
(本物の炭治郎だ!まさか引っ越してきた日に目撃できるなんて!!)
沙紀は「やったー!!」と叫びだしたいところをぐっとこらえるのに必死だった。
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(31)】
沙紀が炭治郎の隣の部屋に住み始めてから二週間が経ったが、残念ながらと言うべきか当然と言うべきか、頑張ってウロウロしても全く彼と出会う機会は訪れなかった。
(あーん、隣の部屋だって言うのに、まるで北極と南極のように離れているようだわ)
彼に恋焦がれ、時間を持て余す沙紀は、Ring&Princeの会員専用ページで今後の出演予定をチェックする。
逆算すると、炭治郎は南の島にロケに行っている模様だ。
(いや、これは喜ばしいことと受け止めるべきね。接近作戦を練る時間がたっぷりあるってことだもの…)
恐るべき行動力で彼の趣味である大型バイクの免許も取り、黒死牟に調べさせて駐輪場も炭治郎の隣の区画をゲットした。
(あとはセクシー下着を入手して、風に飛ばされたと見せかけて隣のベランダに落っことすだけね…下着には「1504 沙紀」と名前を書いておけばいい。
優しい炭治郎のことだもの、きっと届けに来てくれるに違いないわ……)
さっそく駅前の100均ショップへ行き、下着を隣のベランダにうまく落とすために、「アルミ自在ワイヤー」も購入してきた。
極太で柔らかい針金3メートル。
これを「く」の形に折り曲げ、先端にブラをひっかければ一丁あがりである。
(私ってなんて頭がいいのかしら……)
ほくそ笑みながらマンションに戻った沙紀は、エレベーターに乗った。
ランプが15階で点灯し、沙紀はエレベーターから降りた。
「!!」
思わず固まる。
目の前のソファに、リンプリ一番人気の金髪の善逸と、サラサラのロングヘアの美少女が座り、何やら楽しそうにおしゃべりをしているではないか!!
(ええっ!!この階でエレベーターを乗り降りする住民には丸見え状態なのに、あの善逸が!?)
思わず挙動不審になり、一瞬足を止めてしまう。
その途端、善逸が会話をやめ、テレビでの人懐っこい雰囲気はどこへやら、激しい憎しみの混じった目つきで沙紀を睨みつけてきた。
(こ、こわ!!何だよ、クイズ番組ではアホっぽい回答ばかりして、天然を演出してやがるくせに…)
(だいたいオメーなんかどーでもいいんだよ、あたしが好きなのは炭治郎なんだよっ。この自意識過剰野郎がっ)
心の中でひとしきり毒づき、沙紀はさっさと自分の部屋へと戻っていった。
部屋に戻って昼間からビールを流し込むが、さっきいきなり善逸からガンを飛ばされたことでムカムカして仕方が無かった。
とはいえこのような時に感情を共有できる家族も、友人も、いまの沙紀にはいなかった。
衝動的に黒死牟に電話をかける。
「沙紀様。いかがなさいましたか」
いつもと変わらぬ落ち着いた声がして、沙紀はほっとする。
「ちょっと聞いてよ~。炭治郎にはまだ全然出会えてないの。
初日にちょっと見かけたっきりよ。
なのにさっき、会いたくもない善逸にばったり会っちゃって、ひどく睨みつけられたのよ」
「それは嫌な思いをされましたね。
セキュリティ万全なマンションですから、不審者は出入りできないこと、誰にでもわかりそうなものですがね」
「でしょお?しかもあいつ、未成年に見えるロングヘアの女の子と、デレデレ、エレベーターの真ん前の椅子で話し込んでるんだよ。
こんど撮影して、週刊文秋に売ってやる」
黒死牟はいきなり声を潜める。
「善逸と話していたその女の子は、たぶん炭治郎の妹ですよ」
「ええっ!!あの子が!!」
熱烈なファンの間では炭治郎に妹がいるという話は有名だ。
中学時代に見舞われた自然災害で家族は皆亡くなり、彼と妹だけが生き残った。
都立トップ高校も確実と言われるほど優秀な炭治郎だったが、妹を食べさせるために断り続けていたスカウトを受け、中卒で芸能界入りする。
そこで得たお金で妹に十分な学歴をつけてやりたいと、お嬢様が通うことで有名な聖真女子学院で彼女を学ばせているのだった。
「確かにあの子、大きな目や通った鼻筋といい、炭治郎の面影があったわ…でもどうして善逸と一緒にいたんだろう」
「これはまだマスコミもつかんでいない極秘情報ですが、炭治郎の妹は善逸とつきあっているという噂があるんですよ」
黒死牟が続ける。
「あっ……そうなんだ。いいじゃないの。だったら二人で部屋で話せばいいのにねえ」
「善逸は炭治郎が留守の時には、あの妹とは外で会う、という約束をキッチリ守っているらしいですよ」
「そっか、だからああして、公共の場で話し込んでいたわけか」
その話を聞いて、ますます善逸が嫌いになってくる沙紀だった。
(まだるっこしいな~。さっさと部屋で二人っきりになって、やることヤレや!)
とはいえ、黒死牟は上品な男なので、こんなことを言うと軽蔑されそうだ…と思った沙紀は、そのセリフをごくりと飲み込んだのだった。
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(32)】
沙紀がRing&Princeの炭治郎の隣の部屋を借りて一か月が過ぎた。
せめて彼が在宅しているのかどうか物音だけでも確かめたくて、安室奈美恵引退コンサートで沖縄会場に入れなかったファンがやっていたように、必死で壁にぴったり耳をつける。
しかし高級タワマンで音が漏れ聞こえるようなこともなく、失望は募るばかりだった。
「女は損よね!」
沙紀は黒死牟に電話をかけて愚痴を言う。
「男はお金さえあれば、ツテを頼って女優と飲んだり、恋人になったりできるよね。
石原さとみをゲットした外資系社員や、深キョンとつきあってる杉本社長とかさ…。
だけど女がいくら金を持っていても、若くてイケメンの有名人をひっかける方法は無いのよね……不公平だよなっ」
人生に深く絶望する沙紀。
「でも沙紀様だって、存在自体が都市伝説と言われている無惨社長と親しいですし、イケメンスピリチュアリスト童磨とも面識がありますし。一般人にしては有名人とつながってる方だと思いますよ」
親切で落ち着いた性格の黒死牟は優しく諭す。
「まあねえ~でもさ、二人共、芸能人に対しては特にコネが無さそうよね」
「いきなりすみません。私はこういう者です」
目の前に差し出された芸能事務所の名刺に、冨岡と実弥は驚いて目を見開く。
土曜日、アニメ作品『秘密の会話』の聖地である川越の江戸情緒あふれる通りをぶらぶらしていると、スーツ姿の男に呼び止められたのだ。
誘われるまま、和風の古民家の喫茶店に入る。
「わたくしどもの事務所は、2.5次元俳優を多く世に送り出しています」
男は抹茶ラテを二人に勧めると、一気に話し始めた。
「2.5次元俳優というのは、アニメの世界を舞台などで再現する俳優のことを指します。
さっき箸の専門店であなた方を拝見し、お二人とも背が高くスタイルが良くて、お顔も美男子ですし、所作もきびきびしていて「これは!」と思ったのです。」
彼はさらに続ける。
「今、ここが聖地である『秘密の会話』というアニメの舞台化が計画されているんです。
管理人のぼる役は葉千雄大、ネットユーザー役の女優たちは木乃坂46に決定していますが、主要人物である詩久菜役の恋人選びが難航してまして……いや~いい人たちを見つけて、良かった良かった!!
詳しいことは明日話しますから、表参道のこのビルまで来てください」
(詩久菜の相手役……!!)
冨岡の胸が高鳴った。彼女こそ、彼が長い間恋焦がれて来た登場人物だからだ。
その日の夜、帰宅しようとする実弥に、冨岡が「うちへ寄って行かないか」と言う。
素性を偽って彼に接近している刑事の実弥が、こんなチャンスを断るはずが無かった。
小さな郊外の駅から徒歩20分の、のどかな畑と住宅が点在する街だった。
あまり飲まないと聞いていたが珍しく、冨岡は駅前のコンビニでどんどんカゴの中に酒を入れていく。
そして彼のアパートに入る前から、どこか頬が紅潮しているのだった。
ワンルームの部屋に入ると、すぐに冨岡が愛する『詩久菜』の祭壇が目に飛び込んで来た。
PCを抱いているぬいぐるみがたくさんと、画集にDVD、キーを叩く彼女の姿がついた缶ジュースやスナック菓子などなど……。壁一面を埋め尽くすように飾られていたのだった。
「すげー。あんたの秋葉原のショップの専門コーナーよりもすごいじゃないかよォ……。
さっきの話だけどよォ、うまくいけばあんたが舞台で詩久菜の彼氏役ができるかも知れないぜエ?良かったなア」
実弥は今日川越へ行って良かったと心から感じた。冨岡の一心不乱の恋心が実を結ぼうとしている。
いい大人の男が人生の全てを彼女に捧げてきたのだから、このくらい良いことがあってもいいだろう。
冨岡もビールを飲みながら子供のようにこくり、と恥ずかしそうに頷いた。
「でよオ……あんたがアニメが好きなように、俺は未解決事件とか陰謀論が好きなんだ。
ほら、最近だと近畿のドン・ファンがクスリを盛られて死んだ事件があっただろオ?俺はあれにものすごく興味を持っているんだ」
「……あの事件か……誰にも言わないで欲しいが、実は俺は犯人と噂される若妻が通うホストクラブにいた。彼女の担当をしていた。このことを話すのは実弥さんが初めてだな」
(!!きたきたっ!!)
刑事の実弥は眼光鋭く彼のほうを見る。自分の感情の昂ぶりを悟られないようにせねば、と必死になる。
「ええーーなんだよそれ!詳しく聞かせてくれよォ」
実弥は笑いながら冨岡のコップに日本酒を注ぐ。自分も楽しく飲むふりをする。
「あの人は遊ぶために来ているというより、何かに急かされて大金を消費するために来ているような感じだったな。節税対策なのか何なのか、わからないんだけど。
あと年齢差のあるご主人のことを疎ましがっていたな。
嫌っていたというより、彼女自身が子どもすぎたんだろうね。
相手を大切にする余裕は無くて、自分の淋しさを埋めることで精いっぱいだった」
冨岡は、『抱いて欲しい』と頼まれ泣かれた夜のことが唐突に思い出されたが、さすがに口にはしなかった。
その晩、二人は色んな話をした。飲んで笑って、酒が尽きたころには真夜中過ぎだった。
「そろそろ寝ようか。雑魚寝で悪いなあ。修学旅行以来だなあ」
二人は狭い床で男同士、Tシャツ姿でぴったりくっつくことになるが、不思議と全然嫌ではなかった。
「俺、嬉しいなあ……友達作るの、昔から苦手なんだ。あっちから話しかけてくれても、うまく話題を広げられなくて…大人になって、実弥さんみたいな友達ができて本当に嬉しいなあ……今日川越で買った箸、うちに置いて行ってくれよ。ここをセカンドハウスと思って欲しいんだ……」
そしてそのまま笑顔ですやすやと寝息を立て始めた。
夜が明け、レースのカーテン越しに眩しい日光が差し込み、目を覚ます。
「実弥さん、おはよう…」
あくびをしながら起き上がり、横を見る。
隣には誰もいなかった。タオルケットは綺麗に畳まれ、昨夜の宴席は無かったかのようにきちんと片付けられて、皿もコップも洗われていた。
こうして一晩限りの親友は、彼の前から忽然と姿を消したのだった。
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(33)】
沙紀はその日の晩もゆったりと薔薇の花びらを浮かべた風呂につかりながら、短い結婚生活のこと、老いて自分に迷惑ばかりかけたドン・ファンのことをいまいましく思い出していた。
(ふん、考えるだけで腹が立つ。若くて綺麗なあたしが、あんな奴と過ごした数か月、もったいないったらありゃしない……)
毎月100万円もの小遣い、東京での別宅生活、ホストクラブや高級ブランドでの散財、何もかも夫から譲歩してもらったということへの感謝の念は無かった。
今なお都心のタワーマンション住まいにも、ドン・ファンの会社社長の名義をゆずってもらったからこその資金により成り立っているというのに……。
バスタオルを巻いただけの姿で、どっかりとグレーのベッドに腰を下ろし高級化粧水をパシャパシャと惜しげもなくはたいた。
その時、沙紀のひじが、ドン・ファンの写真立てに当たった。
パターンと音を立ててそれは床に落ちた。
(ふん……)
大嫌いな忌まわしい夫。腹が立つ沙紀は、それを蹴り飛ばした。その瞬間、
(!!!)
沙紀は目の前を見て驚く。
ふくらんだコンドームが一個、小さなミサイルのように空中に浮かんでいるではないか。
中に入っているのは空気ではなく鉄の塊のようだ。
そしてそれはまっすぐに沙紀のほうを向いている。
突如現れたその不思議なミサイルは、ものすごい速さで彼女の顔面へと襲い掛かってきた。
「きゃああっ!!」
ベッドから飛び上がり、部屋中を逃げ惑う沙紀。
しかし謎の物体はどこまでもどこまでも彼女を追いかけてくる。
タンスやクローゼットにぶつかっても、ギュイインン!!!と向きを変え一直線に追撃してくる。
走り回り逃げ惑い、とうとう力尽きた沙紀はバスタオルもはだけたまま、裸でベッドに仰向けに倒れ込んだ。
はあはあと息が切れて、ドクドクと身体じゅうの血が高速回転しているかのようだ。
その時、「ピッ」とコンドームミサイルは沙紀の体の上空で静止した。
驚いて目を見開いて凝視していると、それはしだいにウイイイーーンとゆっくり下へと降りて来た。
そして沙紀の股間のあたりで再び停止すると、いきなり大切なところをドリルのようにガンガンガンと突いてきたのだった。
「キャアアアッツ……アッ………ア……ンッ……も、もっとっ……」
いきなり体内に入ってきたそれは、まるで彼女の体を知り尽くしているかのように絶妙な動きをした。最初は恐怖しか無かったが、深く、浅く、さらには狭いその中のあちこちのツボというツボを縦横無尽に攻めてくる。
その規則的でありながら芸術的なリズムに、戸惑いはたちまち快感へと変わっていった。
小一時間そのまま我を忘れて、やがて彼女は力を抜いた。
そのコンドームミサイルに身を委ねたあと、脳内の水平線からキラキラする、しびれるような絶頂の波がやってきたのだ。
彼女は恍惚とした表情になった。
それは自分の人生で交わってきた大勢の男の、誰のものとも違っていたのだった。。
どれだけ眠っただろうか。
沙紀はカーテン越しに差し込んでくる、高く昇った太陽の光に目を覚ました。
今のは夢だったのだろうか?
寝返りを打つと、床に落ちていたはずのドン・ファンの写真立てがベッドサイドに戻っている。
「なあんだ、夢か…あっ……!!」
中にあったのは、77歳の彼の写真ではなかった。沙紀もまだ見たことがない、青年時代の精悍な彼が真っ白な歯を見せて快活に笑っているのだった。
50年前の写真だろう。すらりとしたイケメンの笑顔の後ろの木造家屋の塀には、手書きの蚊取り線香や盆カレーのアルミ板の広告が取り付けてあった。
過ぎ去りし若きころ、雄大な青空のもと山道を歩き、村と集落を訪ねて、星の数ほどの女性たちを抱きそして満足させてきた、生き生きとした若者の姿がそこにはあった。
日吉駅前。「ぎんたま」。
夜明け間もない通勤客もすくない時間帯に、矢琶羽とサイステは「ぎんたま」との波動合わせを行っていた。
矢琶羽が「ぎんたま」に手をかざし、サイステは両手でウチワを仰ぐように、ぐるりぐるりとその周囲を回転する。
「おはよう。何してるの。」
ビクっとして二人は振り向く。人のいない時間を見計らったというのに……。
そこには、矢琶羽の広島時代からの同級生女子、朱紗丸が立っていた。
可愛らしい白の半そでフリルのブラウスに、朱色のミニスカート。
すらりと伸びた白い脚に籐のヒールのサンダルを合わせている。
「朱紗丸…。久しぶりじゃのう。」
「矢琶羽、この前の高校の同窓会、どうして来なかったんよ。みんな、矢琶羽が「ぎんたま」の前で大泣きしてる姿をテレビで見て、驚いとったよ」
朱紗丸はそのときに誰かからもらったという、もみじ饅頭の箱を二人に差し出しながら言う。
サイステは、
「あっ、包みを開けちゃうと勿体ないから、矢琶羽がもらえよ。久しぶりに同郷の友達に会ったんだろう?ゆっくり話すといいよ。じゃあ、俺は帰って寝るわ」
そう言うと自転車に飛び乗って行ってしまった。
そんなサイステの後ろ姿を朱紗丸は無言で見送ったのだった。
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(34)】
「こんなにイメージ通りの人が見つかるとは驚きでした!
冨岡さん、是非『秘密の会話』に出てください。剣道の経験があるのも助かります。
殺陣の基本がわかっていらっしゃるので。どうぞよろしくお願いします」
「あの…、すみません、一緒に声をかけていただいた実弥さんですが、朝起きたらいなくなっていて」
「いや、結構ですよ。彼は外国が舞台の作品が似合いそうだと思っていたのですが、今年度は和風の作品ばかりなので。今回はあなただけいてくれたら大丈夫です」
表参道の並木道が見えるビルで芸能事務所と入念な打ち合わせをする。
彼が3年間熱愛してきたアニメ『秘密の会話』が舞台化されることとなり、彼は2.5次元俳優としてスカウトされ、長年片思いしてきた女キャラ、ネットのヘビーユーザーである『詩久菜』の恋人役を得ることができたのだった。
帰宅後一人で「祭壇」にお香ならぬ、アロマを焚く。
最愛の詩久菜が作品の中でお気に入りだと言っていた桜の香り。
「実弥さん……いったいどこに行っちゃったんだよ……俺、調子に乗って自分のことばっかり夢中になってしゃべりすぎてしまったのかな……」
肩を落としながらふと流し台を見る。
実弥はきれいに洗った自分の箸を持ち帰らずに置いていった。だからいつかはここに戻って来るつもりなのだ、と冨岡は自分に言い聞かせる。
出演者顔合わせの日。
皆で稽古場の椅子に座り、一人一人配役が紹介されると立ち上がって頭を下げた。
「詩久菜役。竈門禰豆子さん」
清楚な美少女がすっと立ち上がり、長い髪の毛を揺らしながらお辞儀をした。
(あの子が詩久菜の役なのか……)冨岡は思った。
周囲はひそひそと噂話をする。
「あの子、Ring&Princeの炭治郎の妹なんだってよ」
「えー!確かにちょっと面影があるね」
(Ring&Prince……??ああ、ジャリーズのグループか)
冨岡は彼らを数度テレビで見たことはあるが、ほとんどの時間をyou tubeやdアニメ、ネトフリ視聴に使っているため、詳しくは知らないのであった。
「すごいよ、冨岡くん!殺陣の動きが初日なのにほぼ完ぺきだ!」
重要な剣の動きを試しにやってみてと言われ、監督から褒められ恥ずかしくなる。
以前本気で剣道をやっていた経験が思わぬところで生きた形だ。
『秘密の会話』の主な舞台であるネットの掲示板の中では、よく剣士について語られる。
詩久菜もそうで、毎日夜はPCの前に貼りついて妄想を書き込むことを日課にしているが、実生活では剣道の上手い歌舞伎役者志望の彼氏がいるという設定なのだ。
セリフ合わせも、自分自身がこの作品の大ファンで登場人物の名前もセリフも一通り頭にはいっているため楽々とこなせた。
だからであろう、皆は最初から彼に一目置いて尊重している。
(2.5次元俳優は、地味な性格の自分には全く縁が無いと思っていたけど、意外だったな……)
ジャージ姿の彼は、汗を首に掛けたタオルでふきながら、気持ちが明るくなっていくのを感じた。
「ちょっと……廊下の窓からこっち見てるの、Ring&Princeのメンバーだよね?」
「えーっ。ほんとだ!今朝もテレビに出ていたから忙しいはずなのに」
「炭治郎、妹を溺愛してるから様子を見に来たのかな?善逸もいる!!」
周囲から、声を潜めた会話が聞こえてくる。
窓の方を見ると、モノトーンのTシャツにパーカーという普段着だが、確かに何度かМステや紅白で見かけたことのあるアイドルが二人でこちらを見守っている。
炭治郎は優しい微笑みを浮かべて妹を見つめており、金髪の善逸はどことなく機嫌が悪そうだった。
一通りの行程が終わると、集合して挨拶し、解散となった。
部屋を出て、ビルのエントランスの自販機でペットボトルを買っていると、詩久菜役の禰豆子が笑顔で冨岡のほうに近寄って来た。
「相手役のかたですよね?これから数か月、どうぞよろしくお願いします。色々教えてくださいね」
可愛らしい笑顔でちょこんと頭を下げてくる。
「あ…、いや、僕もこの世界に入ったばかりなので。こちらこそよろしく」
「禰豆子ちゃん!早く帰ろう!俺忙しいのにわざわざ迎えに来たんだからさ」
突然の大声に驚いて振り向くと、さっき遠くに見た大スターの二人が真後ろに立っている。
「ほらほらっ」
大スターの善逸は禰豆子の手を握るとすたすたと歩き始めた。外に大型の白いワゴン車が待っているのが見えた。
(何だ、あれは……)
あっけにとられていると、まだそばにいた炭治郎が礼儀正しく話しかけてきた。
テレビで見るのと全く変わらずに愛想がよくて、温かい笑顔には芸能人独特の引力と輝きがあった。
「友達はあんな奴なんで、ちょっと失礼だったと思いますが、すみませんでした。
僕、禰豆子の兄の炭治郎です。大切な妹をよろしくお願いします。
さっき少し稽古を見せてもらったけど、冨岡さん、動きがきびきびしていて、とても綺麗ですね。今度僕にも教えてください」
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(35)】
横浜・日吉。慶王大学。
「はあ…難しかったのう…来年度、美田キャンパスから『来日』する生活になるんかのう…」
二年生の矢琶羽はぐったりしながら定期試験の教室から出た。
「ミクロ経済」の試験は、宇宙語で書かれた数学問題の一発勝負。
授業に全出席であろうと、真面目に提出物を出していようと、単位取得に関してはまったく考慮されない、という非情さで有名だ。
しかも必修科目なので、四年の終わりまでに取得できなければ卒業できない。
入学試験では商学部とほぼ同偏差値になっている経済学部だが、試験システムの残酷さによる留年率の高さのおかげで「難しい」イメージを保てている、ともいえる。
今日の試験の出来が悪ければ『来日』……すなわち三年になりキャンパスが港区の三田に変わってからも、電車で30分の日吉の授業を受けに来るハメになるのであった。
人混みの中、サイステの姿を探すが、いない。
「サイステはサラサラと解き終えて退出許可時間まで居眠りして、さっさと立ち上がって試験場を出て行ったよ」
誰かが教えてくれた。
(むっ…サイステ、やるな……)
矢琶羽は広いキャンパスの銀杏並木通りを歩き、日吉駅へと向かった。
「矢琶羽くーん」
いきなり数人のキラキラ女子たちに取り囲まれる。
慶王女子はほぼ全員そうだが、この場合ももれなく、ファッション雑誌から抜け出たような恰好をしている。
「な、なんじゃ?」
「なんじゃ、だってー。広島弁、カワイイ~」
そのうちの一人が、携帯の待ち受け画面を見せて来た。
そこには、ドン・ファン不審死の日に、日吉駅「ぎんたま」の前でうなだれて悔し泣きをする矢琶羽の顔のアップがあった。
「な、なんじゃこりゃあ!」
「矢琶羽くんの印象的な泣き顔がテレビに流れた日、全国で色んな人がスクショしてたんだよ。
その中に、スマホの待ち受け画面にした人がいたんだって。
その途端に宝くじや懸賞が当たって、いいことが起こるようになったんだって」
「だから今、矢琶羽くんは『日吉のショックアイ』って言われてるんだよ」
SHOCK EYE……それは、レゲエグループ・湘南乃風のメンバーであるが、一般的には数年前から「歩くパワースポット」として有名だ。彼の写真を待ち受け画面に設定した人のもとへ幸運がやってくると言われている。
「矢琶羽くん、サークルはどこなの?」
「不思議サークルじゃ……」
「あっ、あのサイステと一緒の!」
「えっ、マイナーなサークルじゃが、知っとったんか?」
「幼稚舎の集まりを会員制クラブでやったときに、サイステが皆に話してたからね」
(さすが人脈が広いのう、サイステ……)
「ねえねえ、いつも首につけているこの大きな青い珠のネックレス何なのー?」
誰かが気安く触って来る。
触られるのが嫌いな矢琶羽は、ヒョエっと寒気が走るのを止められず、全身に鳥肌が立つのを感じた。
「私も触りたーい」
「私も~」
「ヒ、ヒイっ。や、やめてくれんかのう!」
その途端、珠を結ぶ紐が切れて、バラバラと一つ一つ、珠が地面にこぼれ落ちた。
「あ、ああっ!」
珠は四方八方に、学食やグラウンド、銀杏並木の陰へとコロコロと転がって見えなくなった。
「キャア、ど、どうしよう!!ご、ごめんねっ」
みんながパニックになる。
その時、背後から冷静な声が響いた。
「ご心配には及びませんよ、お嬢様たち」
「!!」
後ろを振り返ると、そこにはカルバン・クラインの襟付きシャツを身にまとったサイステが、黒いぴったりとしたパンツのポケットに両手を入れ、不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「俺の頭の中の数式にはめ込みました。
このゆるやかな坂の傾斜と、矢琶羽の首と地面からの距離、あなた方が横から掛けた力。今飛び散った15個の青い珠が、どの草むらの陰にあるか、どの側溝の穴に落ちたか、俺の頭の中の地図には、すべて鮮やかに表示されていますのでね」
五分後、サイステの指示通り、分散して捜索に出た彼女たちは、笑顔で走って戻ってきた。
皆、青い珠を高く掲げている。
「あった!」
「ほんとだ!」
キャアっと歓声があがった。
「サイステ君、すごーい!!言われた場所に全部あったよ!!」
さっきまで矢琶羽に突進してきていたミーハーな女子たちは、今度はサイステをハートに満ちた目付きで見つめている。
30分後。
彼女たちと笑顔で別れ、矢琶羽とサイステは、駅前のプール棟にあるタリーズコーヒーでアイスコーヒーを飲んでいた。
「こんにちは~」
(また誰だろう)見あげると、そこには朱紗丸が立っている。
「朱紗丸。お前もおったんか」
「さっきの騒ぎ、見たよ。矢琶羽、日吉のショックアイって呼ばれてるんだね」
飲み終わったサイステがさっと立ち上がる。
「じゃ、俺、今日はじいちゃんの会社の株主パーティーに遊びにいくから。ここ座ってよ、朱紗丸ちゃん」
「えっ!もう行かなくちゃなの?」
(?朱紗丸……?)
矢琶羽は氷をかみ砕きながら、何かが変だと思う。でも何が変なのか、よくわからない。
「サイステ君。あたしも不思議サークルに入りたいんだよ」
(?サイステに今言う必要、あるんじゃろうか?)
矢琶羽はさらに頭の中が、ハテナで一杯になるのだった。
そのころ。ホストクラブ『デーモン』。
伊之助を中心に、主婦たちが真面目な顔をして「雑草リース」の作り方を習っている。小さな野生のバラ、マーガレット、スミレなど。夏の暑さへ向かい、そろそろこれらの花も終わりかけなので、店の前の空き地から大量に切ったり抜いたりしてきたのだった。
花と雑草を上手に組み合わせ、細いワイヤーを絡めながらしゃれたリースに仕上げていく。
「伊之助先生、良いアイデアね。家でも試すわ。庭の手入れをしながら気分転換になるし」
マダムたちはウフフと楽しそうに笑った。
そこへ煉獄が美味しそうなランチプレートを運んでくる。
バックヤードから天元と伊黒が満足そうに眺める。
「昼間のマダムのためのおしゃれな空間作りの新業態、好調な滑り出しですね」
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(36)】
「沙紀様。お迎えに上がりました」
珍しく黒死牟がタワマンまで迎えに来た。久しぶりの外出なのが嬉しくて、沙紀はラメの入った黒いニットの体のラインが綺麗に出るワンピースで決めている。
黒死牟はロビーへと出て来た沙紀を見ると、落ち着いた声で
「ほお、今日もお綺麗ですよ」
とスマートに褒めてくる。沙紀はニヤリとする。いつもながら気遣いのできる男だ。
「ところで沙紀様、ファッションに関しては約束事を守ってくれましたよね…」
「もちろんよ。ボンテージの黒下着で決めてあるわよ」
二人は地下に停めてあった黒死牟のベンツに乗り、ホストクラブ『デーモン』の方角へと向かった。
『デーモン』にすぐ隣接した、蔦のからまる古いレンガ建ての洋館。
沙紀は長いことここを物置だと思っていたが、入って見てすぐに大きな椅子が置いてあるのを見て気づいた。壁紙も天井も赤くて淫靡な空気に満ちている。
(ここはSМハウスじゃないか……きっと誰も知らない、限られたメンバーの隠れ家なのだ)
天井からは鎖のついた手錠やロープなど、色々な器具がぶら下がっている。
「やあ。沙紀さん。久しぶりだね」
奥の会議室に入ると、テーブルには無惨の他に二人の女がいた。
「紹介しよう。タレントの熊多妖子さん。そしてこちらは吉原ナンバーワンの堕姫さん」
美しくセクシーな女二人が、軽く沙紀に向かって会釈する。妖子は余裕のある笑みだが、堕姫は沙紀を威嚇するように口がへの字だ。
沙紀は黙って深くお辞儀して、端の席に座った。
堕姫は隣にいる沙紀に完全に背中を向け、テレビに出ている妖子だけに気を遣って無理に微笑んでいるのが痛々しい。
(ふん、堕姫とやら、本物の貧乏人だな……)
沙紀はすぐに見抜く。
相手によって意地悪度数を変える人間は、本物の貧乏人であることが多い。
沙紀のように全員に平等に意地悪な人間というのは、特に裕福な育ちではないものの自由を制限されてこなかったので、悪い根性がスクスクとまっすぐに育っている。
ところが堕姫のように、囚われ監視され、収益をピンハネされている底辺の貧乏人は、イライラしブスッとしているくせに権力に弱く、強者や人気者にへつらう下卑たところがあるのだ。
「わたし、妖子師匠にどこまでもついていきますよ~」
堕姫が調子に乗って言う。
「あらあ、ウーマナイザーの使い方をちょっと教えてあげたくらいで、いいのよ、ヨイショしなくても」
色白の陶器のような肌をした妖子は、謙遜するが嬉しそうだ。
そのやりとりにふとテーブルの上を見ると、種々雑多な大人のオモチャが置いてある。
無惨のほうを見ると、目が合った。彼はニヤリと笑う。
「今日は俺の知る限り最もセクシーな三人のお姫様に、秘密の会議に集まってもらったんだ。
ご存じのとおり、俺は近畿のドン・ファンの弟子であり、コンドーム訪問販売の正統な後継者でもある。
既に数千件実演販売し、悩める女性たちを救ってきたと自負している。
だが、時代の流れはとてつもなく速い。
新しい商品を発掘し製造して、コンドームとセットにして発売したいと思っているんだ」
無惨は黒いシャツを第二ボタンまではだけ、テーブルに両肘をついて組んだ指先にあごをのせて一気に話した。
「そこで、今夜は研究開発第一夜と称して、君たち三人に、俺をいたぶって欲しいんだ」
「えっ……」
驚いているのは沙紀だけで、妖子と堕姫は黙ってうなずくと立ち上がり、さっさと洋服を脱ぎ始めた。
妖子も堕姫も黒い上下の下着にガーターベルト、15cmのハイヒールである。
「さあ、沙紀さんも脱ぎなさいよ」
妖子に命じられるままに沙紀も下着姿になる。三人の妖艶な美女たちのあられもない姿を見て、無惨は満足そうにグラスの赤ワインを飲みほした。
「行くわよ、無惨」
(エッ……妖子師匠、まさかの呼び捨て!)
沙紀はギョッとする。
クスクス笑いながら無惨が立ち上がると、妖子は彼と腕を組み、そのまま彼の腕をしぼりあげた。
「いっ、痛い」
「無惨、口答えは許さないわよ。さっさと歩きなさい」
カツカツとヒール音を響かせながらそのまま隣のSМルームに入ると、無惨を突き飛ばして椅子へ座らせ、瞬時にガチャリガチャリと鎖と手錠で拘束した。
「堕姫さんは鞭で無惨を打ちなさい。沙紀さんは無惨の手の甲に蝋燭を垂らしなさい」
二人が恐る恐る、彼が苦痛を感じないように遠慮がちにそれらを行うと、妖子師匠は「まあ、初日ならこんなもんね」と採点する。
「ところで無惨、なんであんた、まだ洋服を着てるのよ」
師匠は自分が突き飛ばして無理やり座らせたくせに、彼を責めた。
そして乱暴にズボンをむしり取り彼の下半身をむき出しにすると、カミソリをどこからか持ち出し、彼の大切なところの毛を剃り始めたのだった。
一通り終わったところで拘束具を取り外し、四人で寝室へ向かう。
そこには一部屋ぶんくらいの広さの、巨大なベッドが置いてあった。今度はすっかりその気になった無惨が三人の女を相手にする番だ。
「おいお前、さっきはやってくれたな!!」
真っ先に妖子に飛び掛かって組み敷いていく。
師匠は最初はケラケラ笑っていたが、無惨に責められいたぶられて、最後に歓びの声をあげていたのだった。
(なんだかよくわからないけど、四人っていうのも新鮮ねえ……)
ぼんやりベッドの隅に座って眺めていると、堕姫が沙紀を振り返って注意する。
「ちょっとあんた、ボンヤリ見てたら4Pにならないでしょうがっ。こっちに来て無惨様の上半身を担当しなさいよっ」
驚いて前方を見ると、堕姫は寝そべった妖子の上に乗っかった無惨の尻のあたりをオモチャで色々刺激している。
「は、はい……」
「堕姫、まだ沙紀さんはこのような世界は初めてだから、優しくしてやりなさい。俺も今度妻が三人いる天元に、詳しく流れを聞いておくから……」
沙紀は遠のく意識の中で、しかしはっきりと決意する。
(この世界から抜け出さないと、純情なアイドルに恋する沙紀ちゃん、への道は遠いのだわ……)
だが頭の理性とは裏腹に、三人と前から後ろから、横から斜めから絡み合ううちに、彼女の本能は快感の吐息を漏らすのだった。
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(37)】
近畿のドン・ファンの不審死は日本じゅうの関心を集め、連日テレビでずっと報道され続けている。
「そりゃあ、ウチの娘が犯人だと思われても仕方ないですよ。親である我々も娘が結婚していたなんて寝耳に水なんですから」
北海道の実家の前でインタビューを受ける、「自分たちは無関係だ」と言わんばかりの両親の姿を目にして、いまいましい気持ちで沙紀はテレビを消す。
(ジジイのそばに粉を置いただけだよっ!
あたしは断じて、何も悪いことはしていない!
ま、警察に粉について突っ込まれたらメンドクサイから絶対言わないけどね~っ!)
幼い頃から気の合わない母親だった。
小学校の卒業文集でこう書いたことを覚えている。
「いつもいつもお母さんから、沙紀はワガママだ、こんなにワガママだったらみんなからいつか嫌われるよ。そう言われ続けて、確かに自分は遠足や修学旅行のときもワガママばかり言ってきたと反省しました」
と……。
大人になった今、「反省なんかして、損した」という気分で一杯だ。
中学でイジメを始めて、威張るって楽しいな、と感じた。
高校では学校一のイケメンかつ不良だった男子とペアでつるみ、金持ちの生徒を狙ってカツアゲを繰り返した。
(今思えば、アイツはちょっと無惨様に似ていたよな。100分の1くらいだけど…)
豪華なライトが沢山上についている、女優ミラーと呼ばれるドレッサーで化粧をしながらふと思い出す。
(高校のときは、あたしがオラつくだけで皆がオドオドして、ビクついたから面白かった。
美容学校を卒業して、「学校」っていう狩場が無くなったとたん、それまでのいけにえが
柵の外へ出て行ったから、あたしは当たり散らせる場所を無くしてしまった。
ドンファンと結婚したって、無惨様と寝たって、大勢の前で威張れるわけじゃないから、欲求不満なんだよなあ……)
ぼんやりとヘアアイロンでつややかな髪を輝かせる。
(でも!!あたしはいずれ、隣の部屋の炭治郎と結婚する予定なんだよね……
あたしは日本を代表するジャリーズ事務所の、リンプリの妻になる運命なのだ…)
コンサートの最前列に招待され、アフロのカツラをかぶり変装し、熱視線で夫を応援する。
隣のファンが沙紀を見つけて、羨望のまなざしを向ける……
舞台の上の炭治郎は、ちらっと最愛の妻・沙紀のほうを見ながらキレキレのダンスをし、二人にしかわからないサインを手で送って来る……
(ああ、なんて素敵なのかしら!)
(よっしゃ、こうしてる場合じゃない、盗聴、盗聴っと……)
黒死牟に取り寄せさせた、高性能な盗聴器を引き出しから取り出す。
(これは高性能の小さな磁石になっています。隙をみて、炭治郎の部屋の新聞受けに取り付けるといいでしょう)
彼の言葉を思い出す。沙紀はそろっと玄関を出て、周囲をうかがう。
このタワマンには、そもそも普段から人の気配が無い。
その多くの部屋を投資目的の外国人が所有しているからだとも言われている。
周囲をキョロキョロと確認したのち、そうっと炭治郎の部屋の前で立ち止まる。
さっとすばやく、音を立てずに新聞受けの内部に手を入れ、盗聴器を内部に仕掛けることに成功した。
「沙紀さん」
「!!!」
飛びあがるほどびっくりした沙紀は、驚いてバッと後ろを振り向いた。
「と、と、冨岡!!」
「沙紀さん、久しぶりです。俺も驚きました」
(はあーーーー……心臓が止まるかと思ったっ!!)
「ひ、久しぶりね!でもどうしてここに?」
「ここに住んでいる人に用事があって」
冨岡はインターフォンを鳴らす。
沙紀はビクッとするが、好奇心のほうが先に立ち、立ち尽くすことしかできない。
背後からガン見していると、中から良い花のポプリのような香りがほんのり漂ってきて、以前見た美少女が出て来た。炭治郎の妹の禰豆子である。
趣味の良い水色のブラウスとスカートを着用している。
私服に見えるが、きっとこれはあの有名な女子校の制服だろう。
彼女はきちんとお辞儀をし、まっすぐに冨岡に視線を向けて礼儀正しく話す。
「冨岡さん、ごめんなさい。無理を言って、新しい台本を届けてもらってしまって」
「いえいえ。近くを通りかかっただけですから。じゃあまた明日稽古場で」
「……その方は?」
禰豆子がふと、横にいた沙紀に目を止める。
「今、偶然再会してお互いびっくりしていたところです。僕が以前働いていたところのお客様です。お隣の部屋だそうですよ」
「そうなんですか…!!」
沙紀は(今だ!)と決意を固めて自己紹介する。
「始めまして。隣の1504の、野咲沙紀です。1か月前に引っ越してきました。仲良くしてくださいね♡」
「はい。こちらこそよろしくお願いします!」
可憐な清楚な花のような笑顔を見せて、その少女は笑った。
元ナンバーワンホスト冨岡との思いがけない再会と、恋焦がれたRing&Princeの炭治郎との接点。
沙紀は冨岡と並んでエレベーターに乗り見送るつもりが、ふと話をしたくなって2階のラウンジに彼を誘い、ソファに腰を下ろした。
「まさかここで『デーモン』の人に会うとはね」
「俺も驚きましたよ。沙紀さんのことをずっと心配していましたから、元気そうなお姿で嬉しいです」
自分のワガママでクビになったようなものなのに、冨岡は本当に優しくてお人好しだなと沙紀は思った。
「今あなた、スカウトされて俳優してるの。すごいわね、相手役が炭治郎の妹だなんて」
「俺も驚きましたよ。禰豆子さんはあんな有名人の妹なのに、謙虚で勉強熱心な人です」
「冨岡も相変わらず固いわね~。普通の男ならさっき、玄関先で帰らずにJKの部屋まで入っちゃうよ」
「ははは……沙紀さんって、何かにつけ話をいやらしい方向に持っていくけど何故ですか」
主従関係が無くなったからか、冨岡も本音を隠さず笑った。
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(38)】
「青い大きい実が沢山ついているから、枝ごと切るぞ!伊之助、ちゃんと網でキャッチしろよ!」
初夏の日差しが眩しいなか、煉獄が腕まくりをして巨大な枝切りばさみをジャキン!!と動かすと、たわわな梅の実がついた枝がバッサリと網の中に受け止められた。
今日は『デーモン』の前の緑の庭園にある梅の収穫だ。二本は南高梅で粒が大きく肉厚だ。中にはもう黄色く完熟したものもあった。もう一本は小さな小型の梅が大量につく品種だ。
梅は自生のものは一年おきに大量に実がなる年(表年)と、少ない年(裏年)に別れるが、今年は前者なのだった。
「無惨様も商売上手だな。ホストたちの手作りの梅酒をメニューにしようと考えるとは」
サイステと矢琶羽は切り落とした枝から実を一個一個きれいにもぎ取り、バスケットの中に入れた。
「小梅のほうは、実と実がくっついて双子になっているものが多いね。ヤッハーとサイステくんみたいで、かわいいね」
二人がふと見上げると、そこには真っ白いワンピースと麦わら帽子をまとった朱紗丸がいた。
「朱紗丸ちゃん。どうしてここに来たの」
「ヤッハーから、今日は梅酒作りだから手伝いに来て、って誘ってもらったの。私はキッチンで、梅酒を漬け込むためのガラス瓶を煮沸消毒してくるね」
サイステにそう答えると、朱紗丸はラベンダー色のエプロンをつけて建物の中に入っていった。
ドン・ファン事件の重要人物である沙紀が常連だったことで、にわかに世間の注目を集めたホストクラブ『デーモン』だが、天才清掃人・矢琶羽のおかげで家宅捜索を受けても一切の疑わしきものが無く、すぐに無関係と実証された。
その後も『デーモン』の収益は着実に上がっている。
キレ者の支配人・伊黒の采配のもと、マダム向けの「昼の部」、キャリア女性向けの「夜の部」それぞれに特化した営業を始めたからだ。
子供のいる母親に人気の高い煉獄が「昼の部」のチーフ、おしゃれに飲みたい女性に人気の高い宇随が「夜の部」のチーフだった。
梅酒作りは主に、昼の部の客へのアプローチを念頭に置いて、家庭的な演出の一環として行われているのである。
朱沙丸は誰もいない、静まり返った店の厨房に入る。ピカピカに磨き上げられたステンレスの業務用キッチン台がいくつもある。吊戸棚を探すが、梅酒を漬け込むのに適した巨大なガラス瓶が見当たらない。
そこへ「夜の部」担当の累がぶらりと入ってきた。早めに起きてしまったので出勤し、最初に麦茶を飲もうと思ってやってきたのだった。
見慣れない女の子がいて、一瞬固まる。
慌てて寝ぐせを直し、ネクタイを締めなおした。
「こんにちは。矢琶羽の広島時代からの友人の朱紗丸です。今日は梅酒の手伝いに来ました」
「あ……ホストの累です。よろしく。ごめんね、厨房に女の子がいることが無いもんで、ちょっと驚いてしまったんだ」
「累くん。よろしくね。あのね、今、大きなガラス瓶を探しているんだけど知ってる?」
「瓶ならいつもシェフがここに置いていたな」
累が部屋の隅の箱を開けると、そこに色々なサイズの瓶が綺麗にならべてあった。
「ありがとう。助かったよ……あれ、累くん、ちょっと顔色が悪いんじゃないの?」
「実は、昨夜お客さんの相手で飲みすぎちゃって、すこし気分が悪いんだ。お腹が空いているのに、なぜか食欲も無くて」
「えっ、それは大変だね。ちょっと待っててね!」
朱紗丸はひらりと外へ駆け出していくと、小さなカゴに黄色く熟した柔らかくなった梅の実を入れて戻ってきた。
「黄色くて柔らかくなった梅の実にはもう毒素が無いから、お砂糖と煮詰めて梅ジュースを作るね」
小鍋をぐつぐつさせると、黄色い甘酸っぱいジャムができた。良い香りがあたりにただよう。朱紗丸は、その上澄みの液体だけを銀のスプーンで掬い取ると、氷水を入れたコップに注ぎ、マドラーでかきまぜた。
「はい、お礼だよ。さっぱりする梅ジュースだよ」
「……ありがとう……」
累はおそるおそる受け取り、口をつけた。
爽やかな香りと優しい甘さが体中に沁みわたっていく。
「お、美味しい!!」
「でしょ?」
朱紗丸はキラキラした大きな目で、満足そうに累を笑顔でみつめた。
朱沙丸は、累と話しながら器用に瓶を熱湯で消毒し、清潔なふきんの上に並べた。
「じゃあ、行くね。矢琶羽に誘われて、これからもちょこちょこ、昼間にこのお店をお手伝いに来るからまた会ったらよろしくね。」
そう笑うと、また朱紗丸は扉を開けて、太陽の光のもとへと駆け出していったのだった。
その日の夜。
「夜の部」の開店を前に、担当ホスト達の朝礼(といっても夜なのだが)が行われている。
「宇随さん、ちょっといいですか」
累が手を挙げる。
「なんだ?累。派手にスピーチでもしてくれるのか?」
天元は髪飾りをキラキラさせながら嬉しそうだ。
「僕、明日から、昼の部の担当ホストになりたいんですが、どうでしょうか」
皆が驚いて累を見る。
(マジかよ?累はメチャクチャ夜行性で、朝に弱かったよな……?)
その中でもひときわ、不満そうにぷうっと不貞腐れているホストがいる。
累といつも二人で「弟営業」のタッグを組んでいる無一郎だった。
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(39)】
夜、沙紀は薔薇風呂を済ませたあとシルクのガウン姿でヘッドフォンをPCにつなぎ、隣の炭治郎の部屋を盗聴していた。
不在がちの炭治郎の部屋にはほぼ禰豆子が1人でいるのだろう、食器を洗ったり洗濯機を回す音が響く程度で、ほとんど「会話」が聞こえてくることは無かった。
だがその夜は違った。
「鬼舞辻無惨の居所を突き止めたんだ。かならずあいつの息の根を止めてやる」
いきなり飛び込んできた物騒な炭治郎の声に、沙紀は椅子から飛び上がった。
(どうして炭治郎が無惨様のことを知っているの!?)
慌てて身を乗り出すようにして盗聴を続けるが、はっきり聞こえたのは、玄関先で炭治郎が大声で言った恐ろしい言葉だけだった。
(すぐに無惨様に知らせなくては!!)
炭治郎に接近することを第一に考えれば、このまま何も言わずに無惨の傍で、向こうからやってくる炭治郎を待ち伏せするのが手っ取り早い。
だが複雑な思考が苦手な沙紀は、パニック状態になり、着替えると大通りへ飛び出しタクシーに飛び乗った。
「ホストクラブのデーモンまで!」
車窓に映し出される東京の夜景を眺めながら、沙紀はあれこれ考える。
(確かに無惨様は、あちこちで恨みを買っていてもおかしくない。
自分勝手で乱暴なところもあるし。
時々良い人ぶる時は、たいていその相手から金をせしめる時だけだし…)
沙紀はドン・ファンが亡くなった直後、夜な夜な金目当ての無惨が自分のもとを訪れ、寂しい一人寝の自分の体をすするように舐め回し、彼女が一番欲しかったものを惜しげもなく押し込んできたことを思い出した。
(でも結局はどんなに頼んでも朝までは一緒にいてくれなかった。
お手伝いの紫紅恵と毎晩やりたいことの欲求を、あたしを身代わりにしてぶつけていただけなのだろう……
時々裸にエプロンをつけさせられることもあるし……どうしてあたしが一般人の紫紅恵オバサンのコスプレしなくちゃなんねーんだよっ!!)
愛憎なかばする混乱した感情を抱えたまま、沙紀は『デーモン』の門の前に着いた。
「社長に会いたいのよ。沙紀と言えばわかるわ」
通りかかったホストに取り次ぎを頼む。
しばらくして、隣のあの洋館へと通された。
「ようこそ、沙紀さん……」
つたの絡まる窓を背にして、白いスーツ姿の無惨が座ってこちらを見ている。
なぜか眼球が真っ赤で、いつもよりも獰猛だ。
「忙しいのにすみません。早急にお伝えしたいことがあって。芸能人の…うっ!!」
沙紀がそこまで話した途端、背後から組み伏せられ、口と目を、布で縛り上げられるのを感じた。
(キャア…!!)
叫び声すら満足に上げることができない。
そのまま沙紀は屈強な男たちにSМルームへと拉致される。
洋服をはぎ取られ、足を開かれた状態で椅子に座らされ拘束される。
両腕は上へ吊るされ、手錠をつながれた。
その時ようやく目隠しはほどがれた。それは、彼女の自由のためではなく、自分の情けない姿を目に焼き付けさせる目的だった。
目の前には大きなアンティークの鏡があり、開脚を強要され、両腕を天井に向けて、一つにつながれた情けない奴隷のような自分の姿が飛び込んできた。
助けて……動けない……恐怖の涙がこぼれおちる。
「ふふふ……沙紀さん、先日はSの役をありがとう。今夜はお礼に、君がМで俺がSの役で楽しもう」
無惨が隣の部屋から鞭を持ってやってくる。その目はこれまでに見たことが無いほど狂暴な欲で爛欄と光っている。
「お願い、無惨様、何でもしますからどうぞ許してください」
沙紀の哀願の声が、ますます彼の中の残虐的な欲を掻きたたせたようだった。
「じゃあ、まずはこのまま俺のものを口でしろ」
無惨はぴったりとした白いズボンを降ろし、自分のシンボルを彼女に押し当ててきた。
(怖いけど、まあいいか…ちょうど自分もそろそろしたかったし)
沙紀が目を細めてそれを見ると、彼のその部分の陰毛は綺麗に、鬼のお面の形に刈り取られている。ちょうど鼻に当たる部分に大切なところがくるようになっている。
先日4Pのときに熊多妖子師匠にカミソリをあてられていた部分だ。
「お前、いま笑っただろう!」
「断じて笑っていませんっ、無惨様、信じてください!」
沙紀は恐怖におびえ、懇願する。
「あまりにも芸術的な鬼の顔なので我を忘れて見入っていただけです!!」
「なんだと!?お前が今見るべきものは陰毛なのか!?
それに囲まれているモノこそを凝視すべきではないのか!?
物事の優先順位がわからない役立たずめ。いますぐ殺してやる!!」
無惨は激怒し、より一層目を真っ赤にして鞭を振り上げた。
ドオオオオン!!!
一瞬先の目の前に、火花が散ったような感触があった。
(何?何なの??)
「いてっ!!!」
数秒後目の前を見ると、無惨が倒れ込んでいる。よく見ると両手で股間を押さえている。
衝撃のショックで握り締めていた拘束具のリモコンのボタンを誤って押したらしく、いきなり沙紀の両足首を押さえていた鉄の輪がカチャリと外れ、同時に手首を拘束してい手錠も外れた。
沙紀は全裸のまま椅子から飛び降り、ぐったりとしている無惨のもとへ駆け寄る。
「無惨様!!大丈夫?」
「沙紀さん……今、謎の衝撃に股間をやられた……俺は死んでしまうのだろうか……」
血を流しながら無惨は息も絶え絶えに、小さな声で言う。
彼自身は無事だったが、数センチずれた部分が出血し、鬼の顔の部分を赤く染めているのだった……。
同時刻。日吉駅前の巨大モニュメント「ぎんたま」。
矢琶羽とサイステは、今夜も「その日一日の中で、一番凶悪な人物の、一番凶悪な部分」に衝撃を与えるために、必死でその巨大な銀の球体と「波動合わせ」をしていた。
手かざしをしながら矢琶羽はビリビリと自分を押し返す圧を感じた。
「むっ……敵はこれまでにない、大きな邪悪な力を持っておるのう……」
目を閉じ、集中する。
その瞬間全ての指先から強力な閃光が出て、ぎんたまも一緒に「カッ!!」と稲妻のように光った。
彼らの脳のどこかで、悪者退治が成功したことを示すセンサーが鳴る。
「やった!邪悪な存在を滅ぼすことができた!」
矢琶羽とサイステは飛び跳ねて笑顔で歓びあい、すかさず忘れずにゆらゆらとトランス状態で盆踊りのように踊りながらクールダウンし、「ぎんたま」との結界を解いたのだった。
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(40)】
初夏の都内某所のホール。
今日は冨岡と禰豆子が出演する舞台に向けての最終リハーサルが行われていた。
衣装を身にまとい、激しい剣術をしながらセリフと立ち位置の確認を行う。
その時、ビリビリと音がして、冨岡の繊細な水色の羽織の衣装が破れてしまった。
「ああっ」
舞台袖に古い釘が出ており、そこにひっかかったのである。
「どうする?衣装係の人は感染症でしばらく来れないし、もう夜だし」
「私に任せてください」
側にいた禰豆子がそう言った。
二日後。中野区の北の外れ・冨岡のアパート。
インターフォンが鳴り、起床したばかりの彼が「宅配便かな?」と思ってドアを開けると、そこに立っていたのは禰豆子だった。
「衣装直して来ました。最近は公演日に突然感染症になる場合もあるので、重要なものは直接事前に手渡ししないと、行き違う恐れがあると監督に言われまして。」
「ありがとう!!すっかり甘えてしまって申し訳ないな。一人で来たの?」
「あとでマネージャーが駅前に迎えに来ます」
「良かった…ごめんね、家まで来てもらって。ちょっと上がっていって」
(良かった、顔を洗って着替えておいて……)
内心ほっとしながら麦茶をコップに入れて、小さなサイドテーブルに置いた。
若い女の子を一人で部屋に入れることを誤解されたくないのもあり、
「今の時期、換気しなくちゃだから、ドアと窓は全開にしておくよ」
説明しながらドアストッパーを置き、彼女に部屋に入ってもらった。禰豆子は狭いアパートの玄関が男のスニーカーが数足置いてある中を縫って、綺麗に靴を揃えて入ってきた。
「すごーい!この「詩久菜」のコレクション。原画集にグッズまで盛りだくさんですね!彼女愛用のパソコンのぬいぐるみまである!」
無邪気に禰豆子は、自分が演じるキャラの商品で埋め尽くされた祭壇を興味深そうに眺めた。
「冨岡さんが選ばれたのは、この作品とキャラへの造詣が深いから、って聞きました。今日お部屋拝見できて嬉しいです」
「こちらこそ、セリフの確認で一番忙しい時に、衣装までつくろってもらってしまって、本当にごめんね」
衣装を広げて見せてもらうと、まるでどこが破れていたかが判別不可能な新品のようになっている。禰豆子は非常に家庭科が得意と聞いたが、本当のようだ。
「水色の布も買いにいってくれたんだよね。ごめんね、いくらかかったのかな」
財布を取り出すと、
「ううん、この布はただです。いらなくなった布を使ったので」
「えっ、でもこれ、すごく上質な布だよ。高かったでしょう」
「……ちょうど学校を辞めたから。予備で持っていた制服を切ったの」
「ええっ!!」
(そんな勿体無い事を……)
「元々、芸能の仕事の誘いを受けたのは、ずっと兄一人に養ってもらってきたのを、そろそろ私も働きたいと思ったからです」
「だからって退学しなくても」
「私の女子校は芸能活動禁止なので」
「先生たち、止めたでしょう」
「シスターとじっくりお話しました。卒業まで待つことを勧められました。
でも、既にこの学校で、神様のために人はどう生きるべきかを全て学びました、とお伝えしたのです。
シスター達が最後にチャペルで祝福し、見送ってくださいました」
まっすぐな清らかな目で言い切る強さ。驚くことばかりで冨岡は何も言えなかった。
しばらく祭壇をじっくり見つめていた禰豆子が、ピンク色のパソコンを抱えた詩久菜の人形から視線を外さないまま言う。
「彼女が相手に気持ちを伝えるときの心の動きはどんなふうだったと思いますか。
冨岡さんは詩久菜の大ファンだからよくわかっていらっしゃいますよね。
彼女は毎日インターネットの掲示板『秘密の会話』の中で剣士に憧れて、彼への気持ちを書き込んで生きているんですよね……」
大きな澄んだ目で、至近距離で自分の顔を見上げてくる。
頬はすべすべしていて薄い桃色である。
髪の毛は窓から差し込む太陽の光を受けてつやつやと波打ち、ほのかに花のように香ってくる。
その瞬間、冨岡は彼女の瞳の中に本物の詩久菜が宿るのを感じた。
無心で詩久菜と同化したいと願う禰豆子の体に、これまで祭壇に封印されていた詩久菜の魂がキラキラと輝き、額からすうっと入り込んでいくのが見えるような気がしたのだ。
(!!……いま、あの詩久菜が目の前にいる……!!)
いきなり彼の中に衝動が突きあがってきた。
(はやく、はやく抱きしめたい)
何も言えないまま、ずいっと正座していた膝を禰豆子の膝へとにじり寄せていった。
そして手の平を彼女の背後の壁につける。
禰豆子はまだ少女なので、男が自分に近づいてきたとは捉えないようだ。
後ろにある人形に手を伸ばしたと信じて、無邪気に微笑んでいる。
冨岡は体の中に、静かなじんわりとした炎が着火してぼうっと広がるのを感じた。
その火は焼く力は無いのだが、ふわふわした雲のように不可解な麻痺を呼ぶ。
(だめだ……いまはもうこの気持ちに抵抗できない……あの詩久菜が目の前にいる……)
その瞬間、
「あっ……悪いなア」
ビクっとして玄関へ目をやると、そこには陽光を背にして実弥が立っていた。
何故か警官の恰好をしている。
「邪魔するつもりは無かったんだ。玄関の戸が開いていたから気になって……また来るよ、じゃあな」
実弥は急いでそう言うと、そのまま踵をかえし背中を向けて歩きはじめた。
「実弥さんっ!!」
冨岡は転げ出るような勢いで外へ走り出た。
実弥は歩くのが早く、どんどん背中が小さくなる。
畑の脇の道で、がむしゃらに背中を捕まえた。
抱き着いた衝撃で、二人は草むらに倒れ込む。
「お、おいおい、何だよオ!いてえじゃねえか」
「実弥さん、実弥さん。俺ずっと待っていたんだよ。心配してたんだよ!!」
泣きそうになりながら冨岡は実弥を強く強く抱きしめた。
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(41)】
「それで、無惨様の大切な部分はどうなったの……」
タワマンの瀟洒なラウンジは午前中ということもあり、沙紀と黒死牟の二人だけだ。
コーヒーを飲みながら近況報告を受ける。
「幸いすぐにクリニックに行き鳴女看護師長から手当をしてもらい、紫紅恵さんが手伝いに駆けつけたので軽傷で済みました。今はキブツジ・インターナショナル・クリニックの貴賓室に入院なさっています」
「そう……それは良かったわ」
「これは、無惨様からのSМの時の謝罪の印だそうです」
黒死牟はビジネスバッグの中から、小さなシルバーのラッピングの包みを取り出した。
「何かしら。嬉しいわ」
開けると、中にはドイツ製の女性用おもちゃ「ウーマナイザー」が入っている。
「大変なときにこんなこと、しなくて良かったのに……それに自分で自分に使うオモチャは、今一つやり方がわからないのよ。まあいいわ、治ったら彼にベッドの中で教えてもらうから」
沙紀は安堵と心配で、目に涙を浮かべながらため息をつく。
(そうだ。あのことを伝えなくては)
沙紀はしっかりと黒死牟のほうへと向き直った。
「今日はあなたに相談したいことがあったの。炭治郎をようやく盗聴できたけれど
『無惨の居所がわかったから復讐する』という物騒な会話だったの」
黒死牟は驚いた様子が無い。
「そうですか。心当たりはあります。数年前の自然災害のあと、炭治郎の親は消費者金融に手を出し、その取り立てのストレスで亡くなったのです。
たぶん親の死に、無惨様とのかかわりがあり、深く恨んでいるのではないかと」
「そう……これから無惨様の周囲には気をつけないといけないわね。…そうだ!!」
マンション地下のバイク駐輪場。
案の定、炭治郎の立派な高そうなバイクは、ほとんど持ち主に乗られることがないままカバーをかぶっていた。
「バイクにもGPSを取り付けて監視しましょう」
黒死牟はうなずき、バイクの胴体下部に小さなGPSを接着した。
「沙紀さんは無惨様のためなら何でもするんですね」
黒死牟が呟く。
「だって無惨様は大切な友達だもの」
「友達……」
複雑な表情だ。
「わかりやすく言えばセフレよ」
「……」
「そんな憐れむような目をして見ないでよ」
「……」
「誰でも日帰りのショッピングやランチなら、なんとか同行者を見つけられるでしょ。
でも近場の温泉に一泊、北海道や沖縄、アメリカや豪華クルーズ……行先が遠くなるほど一緒に行ける友達を探すのは大変になってくるでしょ?
SEXは宇宙旅行のようなものだよ。
この世で限られた人としか一緒に行けない特別な旅行なんだよ。私は嬉しいよ、無惨様っていう親友がいてくれて」
黙り込む黒死牟と外に出る。満月が輝いている。たくさんの星は喜びの光のようでもあり、切ない無数の涙のようでもあった。
その日の夜。キブツジ・インターナショナル・クリニックの貴賓室。
「あっ……ダメっ、無惨様っ!!」
薔薇の花束を持って見舞いに訪れた沙紀に、シルクのガウンを着た無惨は後ろから抱き着くと胸をわしづかみにし、さすり回しながら洋服のボタンを外した。
「男が1人で何日も寝ていたら気がおかしくなるのは、沙紀さん、あなただってわかることだろう?」
カチャリと内側から部屋の鍵をかけて、左手で彼女の胸を揉みしだき乳首をいじり、右手で大切なところを深くまさぐってくる。
「さあ、壁に手をついて立ったまま、お尻を突き出して足を開くんだ……」
快感に抗えず、沙紀が言葉のとおりにすると、無惨はすぐに彼女の大切なところにウーマナイザーをあてがってきてそのスイッチを入れた。
「あん……っ」
妖子師匠おすすめのそのオモチャは、沙紀の大切な蕾の部分をじっくりと柔らかくほぐしてくる。ふくらんだ蕾が開くと、蜜がしたたり落ちてきた。
「君は頭が悪いのか?取扱い説明書も読めないなんて……」
「はい、私はバカな女です…ごめんなさい、無惨様……」
悲しみと快感の涙がこぼれおちる。
「ふふふ。もうSМはしばらくお休みだからいいんだぞ」
その言葉を聞いて、沙紀は嬉しくてたまらなくなり、まだ傷ののこる無惨を優しくベッドに座らせると、彼の大切なところを愛おしく撫でまわし、口に含んだのだった。
翌日の朝。ホストクラブ『デーモン』。
煉獄が、サイステが組んだ予約客&担当ホストの組み合わせ・料理とドリンクを運び、エンターテインメントをするタイミングについての表を見ながら、その日の流れを確認していた。
「これは、今の時間は大学に行っているサイステが10分間で組んだタイムテーブルだ。上手くできているから、皆、これを覚えて動くように」
煉獄がコピーを配り、ホワイトボードにも一枚貼る。
「すげえな、サイステ。さすが慶王だな。今日は団体客が二組入っているのに、うまくさばけるように作ってあるな」
伊之助が感心したように言う。
その時、
「僕だってそのくらいすぐに作れるさ。いい大学だからって、仕事では関係無いよ」
面白くなさそうに呟く声がして、皆が注目する。
眠そうな目をして出勤してきている累だった。
すかさず、隣にいた無表情の無一郎が、「めっ」と両手で累の両頬をつねった。
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(42)】
初夏のホストクラブ『デーモン』。
木々の緑を照らす太陽の光が差し込むキッチンで、朱紗丸は大量のお皿を洗っていた。
この時期は昼間の団体予約が多く、店のお客さんの回転率がマックスなのだ。
ふと後ろを振り返ると、ワイシャツの腕をまくり、白いエプロンをつけた累が立っている。
そっとシンクに近づき、朱紗丸の傍に立った。
「累くん、接客はいいの?」
彼女が笑顔で見上げると、累は
「今は大丈夫。お客さんたち、無一郎の髪の毛を三つ編みにして結い上げるのに夢中だから」
と笑う。
「朱紗丸ちゃん、流れ作業にしようか。僕がこっちで洗剤をつけるから、君はすすいで」
「うん、わかった」
二人でおしゃべりをしながら楽しい時間がすぎる。
不定期でバイトに入る可愛い朱紗丸に会いたくて、わざわざ昼のシフトに変えたホストの累。
長い雨が続き、やっと晴れた今日、日光と一緒に彼女がやってきたことが嬉しくて仕方がない。
お皿が一枚洗いあがるたびに、二人の時間がキラキラと輝くのを感じた。
「二人とも、こっち使えよ」
背後から声がする。サイステだ。
二人が振り返ると、大型食器洗い機を磨き上げて立っている。
昨夜壊れて動かなくなり、ホストみんなでドライバー片手に格闘したのだがどうしても治せず、粗大ゴミに出そうと相談していたものだった。
「機械の脳にあたる部分の配線がおかしくなっていたから、取り換えといた」
サイステがピっと押すと、食洗機はゴオオーと軽快な音を立てて動き始めた。
「サイステって何か気に入らないんだよな……今日もせっかく丁寧にお皿を洗っていたのにさ……」
夕暮れの駅前のファミレスで、無一郎とコーラを飲みながら累は愚痴る。
「……朱紗丸ちゃんとの時間を邪魔されたから?」
無一郎は大きな澄んだ目で、興味無さそうに呟く。
「えっ。えっ。いや、そういうんじゃなくて」
「累。赤くなってる……」
「違う違う」
「まあ、どうでもいいけど」
無一郎はすぐに運ばれてきたプリンに視線を移した。
累は続ける。
「サイステってそもそも何なんだよ。御曹司だか何だか知らないが、店にヤッハーみたいに毎日来るわけじゃなくて、気の向いた時に勝手にバイトに来て、給料もキッチリ取っていく。伊黒支配人も何も言わないし」
「サイステ仕事できるよ。たまにしか来ないけど、ピンチを救う重要な仕事ができる」
「まあ、そうだけどさ」
「それにコミュ力がすごいじゃない?僕や、前いた冨岡さんみたいな性格は、同僚と打ち解けるのにものすごく時間がかかる。
……というか冨岡さんは何年もいたのに、最後までボッチだった。
なのにサイステのほうは仕事のあと、ラーメン食べに行く集団に初日からチャッカリ入ってる。
短い出番で印象を残すという、すごい才能があるんだよ」
「そういうところが嫌いなんだよ。金持ちだか慶王だか知らないけど、ソツのないところが…何が慶王だよ。幼稚舎だよ。生まれた時から家族に恵まれていただけじゃないか。
無一郎だって俺だって、成績は良かったじゃないか。だけど家族がいなかったから、働くしか無かったから、大学出てないだけだろう?」
こぶしを握り締めて真っ赤な目をして累が言う。
「……やめよう。比べても意味のないことだ。ほら、このプリン、カラメルが美味しいよ?」
無一郎がにっこりと、その日初めて累に微笑んだ。
「……そこのお二人」
えっ、と二人が横のテーブルを見ると、阿部寛と長澤まさみに良く似た、ダークグレーのスーツを着た人たちが座っている。
二人は立ち上がると、胸ポケットからサッと名刺を差し出して来た。桜木、水野、と書いてある。
「東大専科に入りませんか」
二人は口をあんぐりと開ける。
(ドラゴン桜かよ!!)
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(43)】
「そうか、累が恋をしているのか…」
「朱沙丸という、昼の不定期バイトです」
支配人室で会計の報告を受けていた無惨は、伊黒の最後の雑談に反応し面白そうに身を乗り出した。
「しかし何故、伊黒が知っているんだ?お前は敢えてプライベートな話には首を突っ込まない主義じゃないか」
彼は額に青筋を立てつつ冷静に説明する。
「累の最近の行動が目に余るからです。いきなり昼担当になりたいと言いだしたり、朱紗丸が来た時には接客を勝手に抜けたり。
それだけならまだしも、ここにきて東大を受験すると言い出して」
「えっ!?なんだそれは」
「たぶん朱紗丸が慶王の学生なので、自分も学歴をつけたいと思ったんじゃないでしょうか」
「くくく……面白いなあ、それは。俺だってエスカレーターの医学部で、よく知らない者には受験が楽で恵まれているなどと言われるが、内部推薦に選ばれるのはそりゃあ大変だったんだからな!!
秀才ばかりのクラスで圧倒的1位じゃなくちゃ無理だったな…必死に勉強したあのころが懐かしいよ」
「無惨様、珍しいですね、従業員に興味を持つとは……」
無惨がそのままぶらりと階段でを降り、夕方の場内を覗いてみると、累が仕事を終え帰宅するところだった。
「累」
「……あっ!!無惨様っ!!いつも大変お世話になっておりますっ」
よほどの大きなパーティーなどでない限り、社長の無惨にじきじきに会うことなど無い。累は驚いて飛び上がり、ビシっと気を付けの姿勢をした。
「おっ、赤本を持っているな?東大を受験するらしいな。頑張れよ」
(!?)
「温かき御言葉、誠に感謝申し上げますっ!」
共和国のトップの独裁者に発言するかのごとく、軍人のように累は叫ぶ。
どんなに優しそうに見えても無惨様は無惨様だからだ。
「あと…突っ込んだ話をして悪いが、お前、バイトの朱紗丸のことを気に入っているらしいじゃないか?」
「え……あ……どうしてそれをっ」
累は顔を赤らめてたじろぐ。
「まあ、いいじゃないか。勉強も忙しいのはわかるが、女の子は楽しいデートが大好きだ。
時には朱紗丸を誘って、海とか遊園地に連れていってやれよ。そして、暗くなったら夜景を見ながらこれをプレゼントしろ。もうお前から彼女は離れられないな」
そう言うと無惨は、小さなピンクの、リボンのかかった小箱を取り出した。
「少年よ、大志を抱け、か……俺もたまにはいいことを言うなあ」
そのまま無惨は鼻歌を歌いながら帰っていったのだった。
「累くん、累くん」
揺り動かされ、朱紗丸の声で目覚めると、もう夜だった。
「朱紗丸ちゃん……!!」
「もう遊園地終わっちゃったよ。帰ろう」
にこにこしながら彼女が言う。
「!!!」
累はガバっと飛びおきる。夕方の仕事が終わったあと、朱紗丸を誘って後楽園の遊園地に来たのだったが、ベンチで爆睡してしまったらしい。
(せっかくのデートだったのに……)
累は悲しくなる。何度か二人で遊びに行こうと誘って、断られた。
今日は無一郎と三人で、と声をかけたらOKが出た。
気が利く無一郎はここまでは一緒に来たが、急用が入ったと言って夕焼けの中を帰っていったのだった。
……そこまでは鮮明に覚えていたのだが。
「ごめんね、朱紗丸ちゃん。せっかく付き合ってくれたのに……」
「いいよいいよ。お仕事に勉強に、忙しいんでしょ。あたしスマホで長編マンガ読んでたから」
(朱紗丸ちゃんって、どうしてこんなに優しいんだろう)
累はポケットをまさぐる。そこには三日前に無惨様からもらった箱があった。。
「これ、開けてみて」
にこにこしながら朱紗丸が開ける。
「きゃあ、可愛い!!」
キラキラと光る、小さなダイヤモンドに銀のチェーンがついたネックレス。
「でもこんな高そうなもの、いいの?……あ、でも、今日ずっと待ってたし、遠慮なくいただいちゃうね!!」
いたずらっぽく笑うと、朱沙丸はすぐにそれをつけた。ラメの黒い襟ぐりのあいたワンピースにそれはとても似合っていた。
「無惨坊ちゃま、今日は何か楽しいことがあったんですか?」
晩御飯の後片付けをしながらエプロン姿の紫紅恵が言う。
今日はスペアリブにパエリア、食後のデザートは彼女特製のローカロリーのアイスクリームだった。
初夏なのでテーブルクロスも海をイメージしたスカイブルーのペイズリー柄に交換されている。ガラス瓶に可愛いユリとラベンダーが活けてあり、心が安らいだ。
「ありがとう。美味しかったよ」
紫紅恵は頬を染めて、嬉しそうに皿をキッチンへと下げていく。
あの日の夜明け……無惨にキスをされた時、紫紅恵の胸は早鐘のように打ち、自分が壊れてしまうのかと思った。
帰宅してからも一日中悶絶して、横になっていた。
しかし翌日緊張しながらまたここに仕事に来ると、無惨坊ちゃまはいつもの優しい彼だった。
(良かった。この平穏な日々が続いて……)
教会と奉仕活動と、無惨坊ちゃまのお世話。美しい紫紅恵の生活は、それらが全てだったのだ。
かけがえのないひとときを、決して失いたくはなかった。
「そうそう、紫紅恵。今月の給与を振り込んでおいたよ。あとこれ。いつものお礼に」
無惨はピンクのリボンのついた箱を差し出す。
「何かしら?嬉しい!………」
カサカサとラッピングを開ける彼女を、無惨は満足気に眺めた。
「えっ………『ウーマナイザー』??これ、マッサージ器ですか?」
(え、ええっ!!……あっ……累に渡したものと間違えたっ!!)
無惨は真っ青になる。
紫紅恵はといえば、笑顔で無邪気にウイーーーンとスイッチをつけたり消したりしながらそれを撫でまわしているのだった。
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(44)】
累が朱紗丸にネックレスを贈ったらしいという噂はすぐに『デーモン』に広まった。
当の朱紗丸が無邪気に数人に話したため、広まったのである。
「それで、いつ頃結婚するんだろうな?」
煉獄が腕組みをしながら真顔で言う。
「今どき、この程度で結婚なわけないだろう!」
伊之助が煉獄の頬を猫じゃらしでくすぐりながら言う。
「待てっ!この程度ってどういうことだよ?すごいことじゃないか!!わはは!!」
昼の部のホストたちは店の前で鬼ごっこを始めるのだった。ぼんやりしているように見えて足が速い無一郎が、すぐに伊之助をつかまえて盛り上がった。
東京南部のタワーマンション。
沙紀はいつものように、薔薇の花びらを浮かべた風呂につかる。
贅沢なリラックスした日々により、自分が高齢の夫のそばにクスリを置いたことにより彼が亡くなったこと、慣れない土地での短い結婚生活のことなど、どんどん記憶が薄らいでいくのが不思議だった。
女とは不思議なものだ。
男と一時期一緒にいても、過ぎ去ればきれいさっぱり忘れてしまうのである。
いま彼女の脳内を占めているのは、隣の部屋に住むRing&Princeの炭治郎にどうやって接近するか。
そして接近したのちに(1)炭治郎と恋人になり、(2)無惨への復讐をやめさせ、(3)それぞれの男と楽しく付き合う生活を手に入れる、にはどうすればよいかということであった。
(ああ、なんて複雑なのかしら……。イイ女には悩みがつきものよね……そうだ!)
沙紀は以前買っていたセクシーな白いTバックを取り出す。お気に入りの100均グッズ「自在ワイヤー」という3メートルの太い針金をひらがなの「く」の形にし、その先に下着をひっかけた。
(以前考えていた作戦を決行しよう。隣のベランダに落とすのよ。そしたら炭治郎が届けて届けてくれるはずね)
おっと、と彼女は油性ペンを取り出し、キュッキュッと「1504沙紀」と記名した。
そしてそろーっと夜のベランダに出て、炭治郎の部屋のベランダへとその針金を差し込んだのだった。
「むっ……波動がっ!!」
その同時刻、日吉駅・「ぎんたま」。
人通りの少なくなってきた時間を見計らって、矢琶羽とサイステは「波動合わせ」をしていた。
巨大なこの銀のオブジェに矢琶羽が手かざしをし、その周囲をサイステがゆらゆらとトランス状態で踊ることにより、「ぎんたま」の持つ不思議なエネルギーと矢琶羽の首飾りの珠が呼応し、巨大な波動を生じさせる。
それはその一日のうち、最も邪悪な人間の邪悪な場所に衝撃を与え、世界の浄化につながる仕組みなのだ。
ただし一つだけ弱点があり、至近距離に銀製品があると波動が邪魔され、弱まってしまう。
金持ちの慶應生がひっきりなしに側を通るのが悩みの種であった。
「むむ……今日の悪のオーラは少し弱い……どうやら今日の悪人は女じゃのう」
矢琶羽が手の平から超能力のある人にしか見えないビームを放ちながら、遠隔透視をしてつぶやく。
「そして何かわしの嫌いな、いやな女の薄汚れた情念の匂いがするわ……」
眉をひそめがながらも波動を合わせる矢琶羽。
「もう少しで力の束の照準が合いそうじゃ」
サイステもゆらゆらと舞いながら機嫌がいい。
「……?む?ぎんたまからの交信が途切れたような気がする」
いきなり矢琶羽が静止して考え込む。
「あれー、二人共何してるの?」
ぎょっとして声の方を見ると、朱紗丸がサマーニットと白いパンツ姿で立っている。
「図書館で勉強してたらこんな時間になっちゃって。駅に来たら二人がいてびっくりだよ」
にこにこと近寄ってくる。
その途端、サイステの目が険しく光った。
朱紗丸にいきなりズカズカと近づいていく。
そして彼女を真正面に見下ろすと、厳しい声で言い放った。
「悪いが…朱紗丸ちゃん、いますぐその首元にある銀のネックレスを取ってくれないかな」
「えっ。これ、累くんにこの前もらったものだよ」
「知ってるよ。さあ、目の前でいますぐ外してくれ!!」
「ど、どうしたの?……わ、わかった。」
「悪いが今だけ、俺の視界からそれを遠くにやってくれないか?」
「そ、そんな……よくわからないけど帰るよ」
朱紗丸はネックレスを握り締めたまま改札へと消えていった。
「どうだ、矢琶羽」
振り返り彼の元へ駆け寄るサイステ。
「……遅かった。ダメじゃった。今日の邪悪な女は、何かの悪の目的を果たしたんじゃろう」
「まさか朱紗丸の銀製品に邪魔されるとはな……」
ゴトンゴトン……
日吉発の東急目黒線に揺られながら、朱紗丸はさっきの不可解な出来事を思い出していた。
(あんなに真剣なサイステ、初めて見た……)
電車が多摩川を渡るころになっても、考えが整頓できずにいる。
(ネックレスを取れって、強引に………累くんからもらったものなのに……あっ!!
まさかサイステ、私のことが好きなのかも……!!)
彼女は顔を真っ赤にするが、夜の車窓には映らずに済んだのだった。
そのころ。
星空のもと、炭治郎の部屋のベランダでは、一枚の白いレースのTバックが風に吹かれながら、まるで生き物のように這いずり回っていた。
それは不穏な動きであった。
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(45)】
沙紀が正午まで寝ていると突然、つけっぱなしのテレビから「ピロピロリン、ピロピロリン」と「ニュース速報」のテロップの音が響いた。
驚いてガバっと起き上がる沙紀。
「Ring&Princeのメンバー、竈門炭治郎さんが新種の虫を発見」
画面を凝視すると、白い紐をぐるぐるに巻き付けた、気持ちの悪いヌメヌメした10cmくらいの長さの、極太のミミズのような虫が大映しになっている。
アナウンサーが真剣な顔で原稿を読む。
「糸や布を体に巻き付けて生活するヒモマキツキムシ(紐巻き付き虫)は平安時代の文献に記載がありましたが、長らく専門家の間ではツチノコやネッシーのように架空の生き物だと言われてきました。
それが今朝、竈門さんのマンションのベランダを這いまわっているところを発見されたのです」
(なんだよ、数年前にクニマスを発見したさかなクンかよ!ギョギョっとして損した…)
ふわーっとあくびをして、もう一度布団にくるまった沙紀は、あっ!!!ともう一度テレビ画面のほうをガバっと振り返る。
そのヌメヌメした虫が体全体に巻き付けている白い紐のようなもの。そこには確かに「1504沙紀」と書いてある。
(げげっ!!あたしが昨日ベランダに押し込んだTバックじゃん!!)
目玉が飛び出そうだ。日本全国に恥をさらしたことへの恐怖。
(いやまてよ……ギッチリ巻き付いているから、太目の糸にしか見えない……股間の部分も三角の布じゃなくてヒモタイプのものを選んでおいて、良かったあ……)
しんそこホッとするのだった。
「見たよ、君のお兄さんのニュース。あのヒモマキツキムシがまさか、本当にいたとはね」
無事に千秋楽の舞台を終え、冨岡と禰豆子は大きな花束を持ちスタッフの人波の中を劇場のエントランスへと歩いていた。
二人が出演した舞台の評判は上々で、数年後にはまたこのメンバーで再演もあるかもしれないと言うことだった。
(残念だけど、これから本格的にテレビや映画で売り出されていく禰豆子さんとは、今日で一旦お別れか……)
冨岡はふっと、横を歩く彼女の頭が自分の胸のあたりに近づいてきているような気がする。
それは彼自身の隠れた願望による錯覚でしか無かったのだが……。
しかし稽古場で顔合わせをしたころの距離感と比べれば、恋人同士を演じたこの二か月で自然と近い存在になっているのは確かだった。
「冨岡さん、もうこれからしばらく会えないし、どこかで二人でお食事して帰りませんか」
「えっ」
「感染症の対策で打ち上げも中止ですし……どこかテラス席のあるところに行きましょう。もちろん、お忙しければ別にいいんです」
ドキドキして表情が固まっていただけなのだが、禰豆子はそれを「あまり乗り気ではない」と受け取った模様であった。
彼は勇気を振り絞る。
「いや、是非!喜んで」
住宅街の隠れ家のようなフレンチビストロの中庭の席に座る。禰豆子のマネージャーは着席まで一緒にいて、あとでまた迎えにくるからと言い残して出て行った。
二人でりんごジュースで乾杯する。
「冨岡さん、せっかくだからお酒飲めばいいのに」
「いや、元々アルコールよりもソフトドリンクのほうが好きなんだ」
二人でこの数か月の嬉しかったことや辛かったこと、色々な思い出話に花が咲いた。
禰豆子が小さく切った野菜を口に運ぶたびにそこに詩久菜の唇を探し、長い髪の毛が揺れるたびに詩久菜の輝きを探したが、今夜舞台を降りてしまった禰豆子からは、もうどこにも詩久菜の面影を見つけることはできなかった。
あの日自分の前に現れた『秘密の会話』の詩久菜は、詩久菜を演じているときだけ禰豆子の中にやってくるのだろう。
これからは『秘密の会話』のアニメ化の第3期が始まるのをひたすらに待ちながら、原作のインターネットの掲示板の中の愛しい詩久菜の笑顔や、セリフをじっくり読み返すしかない。
「そろそろマネージャーが迎えに来るかも」
禰豆子が腕時計を見ながらそう言ったとき、彼は残念に思ったが同時に深く安堵したのだった。
「あっという間だったね。誘ってくれてありがとう。今夜は俺が払うよ」
「いえいえ、こちらからお誘いしたんですから」
やり取りしていると、横に誰かがスっと立つ気配があった。
二人で見上げると、そこには明らかに不機嫌そうな善逸が立っていた。
さりげない普段着に見えるが、上から下まで海外の高級ブランドの服で決めている。
今をときめくRing&Princeの一番人気の大スタ―、善逸の声に店内の全員が気づき、息を吞んで驚いている。
こちらをチラチラと見る少数の客以外も、いきなり沈黙して聞き耳を立てているのがひしひしと伝わってきた。
「善逸さん…」
「禰豆子ちゃん。今日は千秋楽だっていうから劇場まで迎えに行ったのに、いなくて心配したよ。
炭治郎が来たがっていたけど、天然記念物ヒモマキツキムシのことで報道陣が殺到していて大変なんだ。
代わりに俺に迎えにいって欲しいってじきじきに頼まれたんだ。
ドライバーが狭い道で停車して待ってるから、早く行こう。
俺だってロケとロケの合間に忙しいのにここに来たんだから」
最後の一言はひときわ大きかった。
禰豆子に対してではなく、駆け出しの無名俳優への当てつけなのだということは鈍感な冨岡にもすぐにわかった。
「2.5次元の新人のお仲間とは、今日を限りに一生会わないんだから、名残り惜しいのはわかるけどね」
嫌味は続いた。心無しか睨みつけられているような気もする。
「ごめんなさい。お会計済んだら行くね」
「会計はそこのオッサンがしてくれるって言ってんだから、任せときゃいいんだよ」
(心外!!オッサンだって……!?せいぜい5,6歳の違いだろ?)
(つづく)
【鬼たちのホストクラブ(46)】
その日の朝に話は戻る。
累は突然『デーモン』を退職した。
なけなしの貯金をはたいて有名な那田蜘蛛山予備校の東大特訓講座に申し込んだおかげで、全く時間が無くなったのが理由だ。
東大受験に賭ける彼の気持ちがわかる伊黒も無一郎も、引き留めなかった。
「朱紗丸ちゃんに挨拶してから行かないの?」
「合格してから会う」
ロッカーに長年入れていた沢山の私物でパンパンになったスーツケースを引きずりながら去っていく累の背中が小さくなっていくのを、皆は黙って見送った。
「さあて仕事だ!!」
こういう湿っぽい時には、煉獄の明るいハキハキした号令が救いになるのだった。
『デーモン』昼の部の売り上げは順調だ。
家族が会社・学校に出かけている主婦の空き時間を利用して、ホストが講師となる講座とランチを組み合わせた定期イベントが好評なのだ。
伊之助のリース作り、煉獄の読書会などは手堅い固定客がついているが、ここにきて話題を集めているのが『矢琶羽のおそうじ教室』なのであった。
「大掃除というと年末のイメージがあるんじゃが、夏は汚れ落としがすごく楽になるんよ。洗剤の量も少なくて済む。じゃけえこの時期の大掃除はおすすめなんじゃ……」
円卓の中央に矢琶羽先生を囲み、真面目そうな主婦たちがうなずきながらメモを取ったり、話の内容をスマホに打ち込んだりしている。
雑巾選び、洗剤選び、効率的な拭き掃除の方法……これまで知ることのなかった専門知識を得て、皆満足そうだ。
ランチは広島から取り寄せた、矢琶羽の実家製造の数種類の豆腐をメインに、季節の野菜を天然調味料で調理した色とりどりの懐石料理だ。
「美味しいわねえ、このお豆腐。すうっと口の中で溶けるわ」
「今日一日で、身も心も清まったわね」
最後に皆で撮影会。
集団でも撮影するが、『矢琶羽先生の写真を待ち受け画像にすると幸運がやってくる』との噂により、彼だけにカメラを最後に向け、笑顔で帰っていく人が後を絶たなかった。
その姿をバックヤードから微笑んで見守りながら、サイステと朱紗丸は一足先に店を出た。日吉で四限の授業に出なくてはならなかったからだ。
炎天下、三田駅にたどり着き、二人で電車の中で色々な話をする。
「サイステ君は、三年生からどのゼミ志望するか決めたの」
「まだだよ。人気のゼミは入ゼミ試験が大変だし、攻略方法を練らなくちゃだからね」
経済学部のゼミはたくさん用意されているが、マスコミや起業の将来へつながりそうなテーマのところは人気が殺到するので、狭き門なのだ。
筆記試験のほかに教授と先輩たちによる面接を受けねばならず、「なんとなく入りたい」だけのミーハーな生徒は専門知識について話せないため落とされてしまう仕組みだ。
「朱紗丸ちゃんはどうするの」
「サイステ君と一緒のゼミがいいなあ」
「えっ」
「ヤッハーも一緒だともっといいな」
「三人だと楽しいだろうね」
「ヤッハーは将来、実家の食品会社を継がなくちゃだから、経済の勉強、たいへんだと思う。
広島じゃどこのお家でも、ヤッハーの実家のお豆腐をスーパーで買って毎日食べてるんだよ。
海辺の呉でも、山の三次でも、広島の食卓はあそこのお豆腐がないと成り立たないの。
数百年ずっとそうだから」
「ずいぶん伝統ある旧家のお坊ちゃまなんだな。
普段のヤッハーは全然気取ったところが無いから、君に聞かなかったら全くわからなかったよ」
「確かにヤッハーはいつも微笑んで静かで、自分のことを多く語らない人だからね。
重要人物なのに自己主張はしない。
あっ、和食におけるお豆腐みたいな存在だね!」
ふたりは声をあげて笑った。
ヤッハーがいないところでも、彼の話をすると幸せな気持ちになるのだった。
その日の夜。都内の高速道路。
「禰豆子ちゃん、あのオッサンとLINE交換なんかしなくて良かったのに」
迎えのアルファードの後部座席にもたれかかり、善逸は不機嫌そうにそういった。
「でも善逸さんだって冨岡さんと知り合いになっておいたら、いずれ何か助かることもあるかも知れないでしょう」
タワマンの部屋に戻る。幻の生き物と長らく言われていたヒモマキツキムシ(紐巻き付き虫)を撮影しようと、ドアの外まで報道陣がつめかけている。
群衆のなかに、人波に押されるふりをしてスルリスルリと回転しながらねじり入っていく女がいる。沙紀だった。
(つづく)