お前 早いな
──俺に 10連投してほしいという
変わったリクエストがあったので
適当に思考の整理をやる
人間には 一見不可解な言動が現れる
俺たちは 常識というものを知っている
理性の上では「このようにしたほうがいい」とわかっている
しかし その通りにできないことがよくある
何かに 急き立てられているような
そうせずにはいられない、感情に襲われることがある
これは 普通の人間でもよく起きる
体に良くないとわかっているのに、甘いものを食べずにはいられない
酒を飲まないとやってられないと言う社会人もいる
普通に考えれば 健康に良くないからそんなことはしないほうがいい
だが 体が勝手に求めて、それをやってしまう
その時に 人間の内部でどういうことが起きているのか?(編集済)
それは『無意識の必要性』
意識の上では「やらないほうがいい」と思っているが
無意識の中では「やらずにはいられない」と感じている
人間は 無意識に支配されている
そして その無意識は、俺たちが普段意識しない領域であり
なかなか気づかないものであったりする
ここを利用している人たちにとって、もっと身近な例で言ってみる
意識の上で、俺たちは
もっと有意義に1日を使いたいと思っている
ネットの匿名掲示板に長時間費やす人間を、ダメ人間だと思っている
しかし 暇があれば、覗かずにはいられない
しかも 見たくはないのに、愚痴や悪口などの後ろ向きなコメントばかりのところを開いてしまう
せっかくの休日を、そんなことで費やす自分に嫌気が差す
こういう人が実際にいるかどうかはわからないが、そういうこともあり得る
それは 無意識がそうしろと、支配しているからだ(編集済)
一番楽で簡単な方法は、他人を身代わりにする事
人間には いくつかの防衛本能が備わっている
本当の自分から目を逸らす『抑圧』
それすらできなかった時に、自分の中にあるものを他人に転換する『投影』、『外化』
どうして人間は、認め合って助け合うべきなのに、それができないのか?
それは 無意識では、常に苦しみたいと願いながらも、その苦しみ耐えられずに、他人を身代わりにするから
どうして 残虐なことを他人にできるのか
──無意識で、自分自身に絶望しているから
自分自身が憎い、自分自身に絶望している
この真実は 無意識に抑圧されている
だから 意識の上では、他人が憎い
世界が憎い
攻撃すべき対象になる
他人が苦しんでいる姿が、自分の慰めになり、憎しみを晴らせる
──が、それは抑圧の拡大でしかなく、更に自分自身に絶望する
その更なる絶望から目を背けるために、他人に残虐な仕打ちをしなくては精神が保たなくなる
そういう最悪なスパイラルにハマる
あと6…
新フロイト派のカレン・ホルナイによれば、外化という防衛本能が、人間に備わっていなかったら
もっと自分にその怒りを向けて、自殺する人が増えていただろうと言う
『投影』は 自分の外に対して怒りがある
それと似たような防衛本能である『外化』は、まず自分自身に対して怒りがある
これは わかりやすく言うと、八つ当たりの心理
自分が自分自身に対して、怒っているのに、それがまるで自分の外で起きているように錯覚する
それが『外化』
本当は 自分は自分自身に対して怒っているから、不愉快な気持ちになっているのに
自分自身ではなく、目の前の相手のせいだと勘違いする
自分がもっと優れていなくてはいけないのに、現実の自分はそこまで優れていない
だから 自分の思い描く理想に及ばない自分自身に対して、自分が怒っている
その怒りの感情は、外の誰かに向けられる
隣の部屋の住人がうるさいという理由で、殺人事件になる時がある
普通の人からすれば、そこまで怒るのはおかしいと思う
しかし 単なる騒音に怒っているわけではなく、本当は自分自身に対して凄まじい怒りや憎しみがある
それを隣人に外化して「隣人の音がうるさいせいで、俺はこんなに怒っている」となれば、本人は本当に隣人に対して怒っていると思い込んでいる
本当に 隣人のせいだと怒っている
そうなれば 殺してもおかしくない
この無意識と意識の乖離(ギャップ)
これを理解することが
自分を理解することであり、
他人を理解することに通ずる
よくわからないが、そうせずにはいられない
自分を突き動かしている「何か」は、無意識の領域にある
人間は 幼少期に様々なことが決まってくる
無意識の領域にある、自分自身を支配している「何か」も、多くの場合には、記憶が曖昧なその時に生じる
何故かわからないけど、いつも不安で苦しい
何故かわからないけど、常に焦っている
今の自分ではダメな気がして、もっと理想の自分にならなくてはいけないと、急き立てられる
その割にはうまくできない自分自身に落胆し、責める
もしくは 何故かわからないが、常に他人をいじめたくなる
他人の苦しむ顔を見たくて仕方がない
常に虐げるターゲットを探している
サディズムか、マゾヒズムか
表面的に どちらの形になるかの違いだけで、本質的に、その心理過程は同じ
どちらも 無意識に支配されている
そして 多くの場合、それにすら気付かない
仲間外れにされないように、空気を読んで、他人の顔色をうかがう
そのように 常に、他人に受け入れられることを願う
もしくは 権力や名声などの力を求める
誰かより優越したい、誰かより美しくなりたい、誰かより賞賛されたい
金に求める者もいる
だから 金をどんなに貯めても、天国に持っていけないと分かっていても、貯蓄しないと不安で仕方がない
それを求めて、もっと努力しなくてはいけないとする
努力しないと、それらは手に入らない
しかし それを手に入れても、残念ながら本当に求めているものは手に入らない
だから いつまでも不安で、いつまでも焦っている
何が欲しいのか?
それは 意識の上ではなく、無意識の中に答えがある
それは「いないはずの愛着人物」
探しても探してもいないから、代理の形を手に入れても満足しない
それは本当に 探しているものでは無いから
愛着人物
わかりやすく言うなら、母親
自分のことを受け入れて保護してくれる、優しい誰か
安心感を与えてくれる、すがりつける誰か
本当に欲しいものは、それで
多くの場合 これは手に入らない
何故なら それを欲しがっているのは、無意識の中にいる本当の自分
それは 意識の上ではわからないから、多くの大人たちは、こんなにも金を望んでいる
社会的な成功、賞賛を望んでいる
幼い日に 自分の保護されたいという欲求が、母親によって満たされていたなら
大人になって、そこまで求めない
しかし それが与えられなかったら求める
どうして「親にはちゃんと育ててもらった」と言う人が、こんなにも悩んでいるのか?
それは この愛着行動(保護してくれる愛着人物に抱きつきたい)を満たしたいと願っているから
つまり『分離不安』が、無意識の中にあるからだが
こんなこと言うと、怒られるだろうが
自分の親はひどい親だったと、はっきりと意識の上でわかっている人の方が、まだ幸せになれる可能性が高い
そういう人は、自分に必要なものを見つける努力に切り替えることができるから
『分離不安』は 赤ん坊の頃から始まっている
いや 母体にいる時からかもしれない
だから 覚えているはずもない
母親から切り離されてしまう不安
それを赤ん坊の頃に感じると、この分離不安が生じる
つまり なんとなく心細くなる
不安で 母親にしがみつきたくなる
そういう時に しがみつける人がいれば、救われる
どうしていつも自分は、こんなに不安を感じやすいんだろうか
どうしてこんな小さなことで、くよくよ悩んでいるんだろうか
どうして初めての場所に行くと、不安で緊張するのだろうか
どうしてこんなに みんなからの賞賛を求めるのだろうか
どうしてこんなに 空気を読んで、言いたいことも我慢しているんだろうか
どうしてこんなに 結果を求めて、やりたくもないことを、頑張ってやっているのだろうか
どうして 明日の仕事が不安になって、眠れなくなるのだろうか
どうして 失敗したくないと、完璧主義になってしまうのだろうか
どうして 素直になりたいのに、素直になれずに、まとわりついて、困らせてしまうのだろうか
──どうして 教祖のようなものを求めるのだろうか
無意識にある分離不安が、支配しているから…
俺の身の回りで起こっている事は、これで大体説明がつく
誰が教祖だよ()
これで 10になったな