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なりきり

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やっぱり好奇心だったんかーい!
やっぱり好奇心だったんかーい!_レス51の画像_0
好奇心… やはりそこに行き着く…
好奇心…やはりそこに行き着く…_レス52の画像_0
素直になって欲しいの?
素直になって欲しいの?_レス53の画像_0
あいつかどうかはわからないが 気にはなった この間のコメント
あいつかどうかはわからないが気にはな_レス54の画像_0
前にどこかで見たような… デジャヴな流れだったから
前にどこかで見たような…デジャヴな流れ_レス55の画像_0
どうせ 出て行くなら 最後に一度くらい… そうやって 過ちを犯すんだろうな
どうせ 出て行くなら最後に一度くらい…_レス56の画像_0
……ダメです
……ダメです_レス57の画像_0
ワンナイト… 氣志團…(?
ワンナイト…氣志團…(?_レス58の画像_0
まぁーいいんじゃない? 自分に正直になった結果がそれなら 素直に無意識を認めた結果? 他にはどんなことがわかったの?
まぁーいいんじゃない?自分に正直になっ_レス59の画像_0
結局 俺は好奇心で実験していたが 「繋がりたかった」のだと思う ふれあいが欲しかった 自分が所属できる居場所が欲しかった ただ それだけのことだ
結局 俺は好奇心で実験していたが「繋が_レス60の画像_0
ならそれが答えかな〜 居場所… 今は?というか これからどうします?
ならそれが答えかな〜居場所…今は_レス61の画像_0
自己実現していくしかない
自己実現していくしかない_レス62の画像_0
早く明日になれ!
早く明日になれ!_レス63の画像_0
「自分のための人生を生きているか」 アツい…素晴らしいタイトルだ やはり学問はいい… 生きていて良かったと思える
「自分のための人生を生きているか」ア_レス64の画像_0
いつのまにか 理解してもらうことが当然だと思ってた 我ながら 傲慢極まりない たくさんの怒りがあった 全てが嫌になった しかし やはりそういう時にこそ 学問をする 新しい本を買って学ぶ そうして「生きていてよかった」と 感動する文章に出会う また1つ賢くなれる、謙虚になれる ここはひどい場所かもしれない 世間体的な意味でも、「こんなところで」と言われてしまう場所かもしれないが こうやって学べる機会を得ることができた 俺にとっては それだけで 素晴らしい場所に値する
いつのまにか理解してもらうことが当然だ_レス65の画像_0
よしよしよし…よし
よしよしよし…よし_レス66の画像_0
幸運が続けば、誰でも傲慢になる。イケイケドンドンのときにはすでに下り坂である。
今、自分が腹を立てている不運は「あなたは今すでに下り坂になっていますよ、ブレーキを踏まなければ危ないですよ」というメッセージかもしれない。
心当たりがある この程度のつまずきで 学習できてよかった
苦しいときには、人生最後に払う苦しみを今払っていると思えばいい。
おかしな事件が起こるときには この心の借金がどうにもならなくなっている時… 死ぬ時にそれを払う人がいる 社会で成功する人間が 時折 おかしな事件を起こす これは自殺を含める うまくいかない方が当然で だからこそ こうやって反省する機会が設けられる 俺はこうした小さなつまずきに この反省をできずに、社会的に成功すれば ニュースで流れてくるような 奇妙な事件でも起こしていたのかもしれない
> 幸運が続けば、誰でも傲慢になる。イケ_レス67の画像_0
社会的にすごい事件の連続だね しかも芸能界の成功者から 周りの人達も話題にしてたよー今日
社会的にすごい事件の連続だねしかも芸能_レス68の画像_0
あと3時間でくる…!!(本) (ワクワク)
あと3時間でくる…!!(本)(ワクワ_レス69の画像_0
ネギ切りすぎた
ネギ切りすぎた_レス70の画像_0
夏はざるそば食べまくる 何故だ…(ŧ‹”ŧ‹” 冷やし中華は嫌い
夏はざるそば食べまくる何故だ…(ŧ‹_レス71の画像_0
広告増えた?邪魔だ…
広告増えた?邪魔だ…_レス72の画像_0
あと15分…
大切な努力は「自分を知る努力」。
自分が猿と分かれば、泳ごうとしない。泳げないことに劣等感を持たない。
自分が魚と分かれば、木に登ろうとしない。登れないことに劣等感を持たない。
木に登れないことを嘆かない。 「ああ、なんで俺は木に登れないんだ」といつまでも嘆いて、貴重な時間を無駄にしない。木に登れる猿と自分を比較しない。
運命が違うのだから。
運命を受け入れる。不幸を受け入れる。だからすることが分かる これもシーベリーの言葉である。
過去も遺伝も、いまの自分を受け入れる。
(そわそわそわそわ…) あと5分だっ
(そわそわそわそわ…)あと5分だっ_レス75の画像_0
キタ!!! 読んでいくぞ!!
キタ!!!読んでいくぞ!!_レス76の画像_0
人間は神とともにあって幸福であったということもたしかだろう。しかし、人間が内からでなく外から価値づけられ意義づけられることは、人間の怠惰な幸福への願いのあらわれにしかすぎない。
人間が自ら悪戦苦闘し生きがいある人生を築く努力を惜しんで、努力なくして幸福を勝ち得るために考えだし、創りだしたのが神である。神は人間の身勝手な弱々しい気持ちのあらわれにしかすぎない。
人類の歴史において、いずれはこの神によるごまかしの生き方があばかれるときがこなければならなかった。
今や人間は自らの存在意義を、自らの生きている価値を、自らの生の目的を、自らの内面の安息を、自ら自身によって勝ち得なければならない時代がはじまった。
それが「私には私の人生がある」である。
藍染隊長…?
うむ
うむ_レス78の画像_0
現代において大切なのは、自分自らの内に神をつくることではないだろうか。もはや自分自らが神をつくらなければならない。この世の中には神がいないのだから。
神とは、「自分が何のために生きているのか」を教えてくれるものである。その神なくして人間は人間として生きられないのではないか。
今の時代は、その大切なものを、自分自らの内につくるということを心がけるべきなのである。
「神は皆、人のまがいもの」 これは 加藤先生の解釈を絡めると また違う意味に聞こえてくるが 藍染隊長の性格的に この解釈もまた しっくりくる なるほど
>現代において大切なのは、自分自らの内に_レス79の画像_0
神の存在は、人間が生ける屍として存在していながら幸福になるための秘訣だったのである。死にながらにして幸福でいようという、この甘ったれた、腐りきった人間の根性が創りだしたものが、精神的支柱としての神だった。
キング・ブラッドレイもこれは言っていたな
カッコ良すぎて全てを引用したい… 素晴らしい
カッコ良すぎて全てを引用したい…素晴_レス81の画像_0
してもいい競争と、してはいけない競争がある。
してもいい競争は、自分の過去との比較である。自分は昔に比べて「こうなった」というような比較は望ましい。今日は昨日よりも部屋を綺麗にしようというような比較である。
してはいけない競争は、神経症的競争である。二人の部下を操るための競争、嘆いている部下を発奮させるときの競争、いろいろとある。人を動かすために競争を利用することは有効かもしれない。しかし一時はいいけれども、長く利用すると憎しみが出る。  
子どもでも長く競争にさらすと意地悪になりやすい。人をやっかむようになる。
キツネとウサギが競争している。キツネがドングリをもってきた。ウサギもドングリをもってきた。そうしたら、ウサギに「もっとドングリをもってこい」といってはいけない。そういう競争をさせてはいけない。
「君はキツネと違うんだから、野原に行って野いちごをもってらっしゃい」という。人が発奮するのは、基本的には「自分が認められたとき」である。このことを忘れてはならない。  
鷲は鷲であり、モグラはモグラである。 鷲は飛ばなければならない。鷲は飛ぶことで自分の持ち味が出せる。人に認められようとして脱線してはならない。
(編集済)
この競走が無意味だ 俺はここで学問する それでこそ 俺 俺は他の人間とは違う 他の人間も俺とは違う それでいいんだ (もう干渉しないようにしよ…)
この競走が無意味だ俺はここで学問する_レス83の画像_0
お互いに心底違うと感じたときに、心底自信ができる。自分は自分で頑張ればいいのだと感じられるからである。
うむ 同胞と出会って 心底安心した
一人ひとりに、自分が決めたゴールがある
自分自身が決めたゴール 社会的にはビリでも、心の充実感があるのはそういうものだと思う 確かに 安心感や達成感を抱く 他の奴らは知らない 俺自身のゴールはどこだ?
> 一人ひとりに、自分が決めたゴールがあ_レス85の画像_0
俺は何を望んでいる? 無意識の領域で… この辺りでやるべきことは? こうやって学問して、自己実現することか?
俺は何を望んでいる?無意識の領域で…_レス86の画像_0
答えはわかっている 他人は関係ない
生まれて以来といえば大げさであるが、私は物心つく頃から「書くこと」と「考えること」は好きであった。今から考えるとそれなしに生きられないということが私の強みでもあり、弱みでもあった。書くことと離れられれば、もしかすると、大学入学も就職ももっと容易で簡単であったかもしれない。
俺の背後と同じだ…
答えはわかっている他人は関係ない_レス87の画像_0
私も人並みに、途中いろんな職業につくことを考えたし、努力もした。しかし結局、今の職業以外に落ち着くということが私の性格からして考えられなかったのである。
はじめからこのような職業について生きていかれるという保証があったわけではない。結局書くことと考えることから離れられなかったのである。そのために人以上に苦労もあったが、いったん生き方が決まれば、人よりも仕事はしやすかった。
俺も この能力がなければ 普通にみんなと遊べただろうと思う しかし どうしても 一人でこのように考える必要がある そうしないとダメだった 何度か試みたが ウルトラマンのように、期限付きでしか無理だった 期限が終われば、いつも通りこうなる
> 私も人並みに、途中いろんな職業につく_レス88の画像_0
今から考えると、とにかく世間的にまともに生きるということよりも、一つ一つ自分の頭で考え、悩み、傷つきながら生きてきたことが、その後の人生の基礎を築いたようである。
普通の人のように中年になって職業の選択に迷うことはなかった。それまで悩んだことは、後から考えると無駄ではなかった。
まさに「私には私の人生がある」という以外にはない人生であった。
人生に立ち向かう態度によっては不運と見えるものは幸運でもある。不運か幸運かは視点の違いである。
俺のゴールは もっと長期的なものだろう 自分がはっきりとわかった 認めざるを得なくなった みんなに迷惑もかけたし、何年もかかったが 若い時に そのような経験ができたことは、きっと無駄ではない 自分の進むべき道がわかりやすくなった これからどうしていくことが大切だ 俺は みんなと仲良くしたかったが みんなと仲良くすることはゴールではない あくまで 自分らしく生きろ、ということであり 成長しろということだ
俺のゴールは もっと長期的なものだろう_レス90の画像_0
自分を見いだしたものは恐れを知らない。
「俺には俺の生き方がある」と主張する人は、自分を見いだした人である。安心感のある人である。
このようになりたい それが ずっと夢だった この辺で 出会った人たちや 出来事のおかげで、自分を知ることができた 自分にとっての神は やはり学問だ
> 自分を見いだしたものは恐れを知らない_レス91の画像_0
三玖に説教された 「みんなはそこまで考えていないんだから」 その通りだ 俺がこうあるべきだ、と考えたのは 結局 そういった人種だからだと分かった 「そういう考え方をする脳」を持っているからだとわかった 俺は他の人も同じだと思っていたから 自分も他の人たちと同じ、多数派の人間だと思っていたから 頭が悪いとイライラしていたが 違う生き物なんだとわかったら そんなことでイライラしていた自分の方が、頭が悪いと思えてきた 俺も正しいし、相手も正しい 一人一人がどのように望むのか 違っていて当然だ
三玖に説教された「みんなはそこまで考え_レス92の画像_0
十分に活動的で、自己実現している人間、あなただけがそうなる潜在力をもっている人間、そのような人間になぜならなかったのか。
世界の誰もがなれない自分になれる可能性があるのに、他人のことを羨んだり、妬んだりなどしている暇はない。
素晴らしいな… 本気で生きている人の言葉だな 俺は すべての人から誤解されたとしても このまま 変人だと言われ続けても やはり俺として生きていくよ 他の人たちも、そのようにするべきだ 我々は 一人一人違う顔を持った人間だから(編集済)
> 十分に活動的で、自己実現している人間_レス93の画像_0
過去には 自分が考えることが正解だと思っていた しかし ギフテッドが考えるようなことであり 他の人々からすれば、望んでいないことなんだろう 一人一人違うから あなたが何を望んでいるかは、あなたしか知らない 俺は あなたにもう 俺の考えたシナリオを進めるための駒であることを期待しないし 俺のようにならなくていい あなたは あなたであって欲しい …過去に俺も助けられていた みんな 自分にできることをやっていたから 俺が苦手なことをやってくれた 俺はそれを望んでいる 今も
過去には自分が考えることが正解だと思っ_レス94の画像_0
「猿の水練、魚の木登り」で燃え尽きる。
ではなぜ猿は泳ごうとしたのか。
それは猿に向かって、「なぜあなたは泳げないの?」といった親や世間の人たちがいたからである。
泳げない猿が「実際の自分」を拒否して、泳げる猿を「理想の自分」として描いたからだろう。
そして猿は泳げない自分を軽蔑した。歪んだ価値観がこの猿を殺したのである。
互いに こういうことをするからダメになる 俺自身も 普通の人間として生きるよう 幼い頃から周りに言われ続けてきた 今度は俺が 「どうして 俺のようにできないのだ?」と ギフテッドに合わせようとする これでは 周りと同じ馬鹿だ 俺は俺でいい この辺りに ギフテッドはいない だから 俺はここに一人でそのスタイルをやればいい
>「猿の水練、魚の木登り」で燃え尽きる。_レス95の画像_0
「人にどう思われているか」を過剰に気にする人は、自分の弱点を人に見破られないかと気にしているのである。 「人にどう思われているか」を過剰に気にする人には、「こうは思われたくない」というものがある。
自分の弱点を知られていないかを気にする。その弱点が「他人にどう思われているか」を過剰に気にすることの大きな原因であろう。
実は弱点があってもいい。誰でも弱点をもっている。それが「私には私の人生がある」ということである。
「私には私の弱点がある」
その弱点をもちながら生きるのが人生である。
弱点をもちながら生きる生き方を探す。それが「私には私の生き方がある」である。
俺の弱点は「ギフテッドネス」だったわけだ すぐフロー状態になってしまう こうやって 自分の思考に集中して、長文を連投してしまう これが大変嫌だった みんなと仲良くできていた時 俺は「空気を合わせること」に大変な努力を払った 「自分の弱点が出たら、迷惑かける」と思っていたから 今はもう こうやって開き直れているし 他の人たちと、自分は違うのだとわかっているから みんながいる場所に、近寄ろうとすら思わない
俺の弱点は「ギフテッドネス」だったわけだ_レス97の画像_0
亀はウサギと競走しない。白鳥はいい声で鳴こうとしない。
サルが泳ぐことを期待されたら、「私はサルです。魚ではありません」といえばいい。そういえる人は悩んでいない。
木に登れることよりも泳げることのほうが価値があると錯覚しているから、「私はそういう人間ではありません」といえないのである。
同じように人は、「ありのままの自分」に価値があるということに気がつかない。
俺はギフテッドだから そうではない人達のスタイルには合わせないし 俺もそのようにする 今のここが 俺に適したスタイルだ 互いに よくわからないやつだと言っていればいい それはある意味で正常なんだ
俺はギフテッドだからそうではない人達の_レス99の画像_0
シカが海に行ったら生きるのがつらくなる。シカは浜辺では生きにくいのは当たり前である。シカは草原にいなければならない。
「俺には俺の生き方がある」ということは、シカは今、自分がいる海に執着してはいけないということである。
生きることに疲れた人、生きることが今つらい人は、自分が今どのような状況にいるのかをしっかりと見つめることである。
俺はギフテッドのいる場所に行ってみたが 所属感の欠如はどこにもなかった 寧ろ ようやく故郷に帰れた気がした 俺は間違ったところにいたんだな… 我ながら アホだ
>シカが海に行ったら生きるのがつらくなる_レス100の画像_0