没後三年目にして、若き獅子たちというのを聴きました。あれはいいですね、という男性からの書き込みがあったり。自分の周りからそれからSNSを使って、秀活はやりがいと手ごたえも感じさせてもらって続けています。
没後、どこかで古いファンの人が、秀樹も87年のレミゼ日本版に応募する予定だったが、親友野口さんの応募を聞いてバッティングを避けた由、というのを見ました。野口氏は近年、初代マリウスだと大宣伝の感が有りますが、声が出なくなって倒れたという鍛錬不足の現実もあった。動画で聴いても、役作りに熱心であったとは感じられない。歌うことで精一杯。それでいて自分のことをプリンシパル、だとは・・。
私はミレニアムからのレミゼ舞台を観て参りましたが、秀樹を知ってからは秀樹ならの幻想を抱かずにいられませんでした。原作を読んで、リュクサンブールでコゼットを見染めるマリウスは、純粋で気高く孤独、あの若さの持つ矜持・ヒロイズムと不安と含しゅうと・・秀樹じゃないか!と野口出演を知らずに私は思い、その後は主役ジャンにふさわしかった。人間の持つ本然的な崇高さも弱さも愛しさも。今でも、Bring him Homeをうたう秀樹ジャンを脳内変換。
地下なのでゆるして。
なるほど。いいですねー!有難うございました。ジャベールは映画でよく描けていましたね!
舞台でも映画でも描かれていないけど、忘れがたいシーンが有ります。5歳で女中になったコゼットが、疲れ果ててる日暮の最後の重労働―森での水汲み。行かなきゃ殴られるし行っても殴られるのでしたが・・もう中年女の様なふてぶてしさで防御してても怖くて震えあがる夜の森。汲み終わってヨロヨロ、絶望的に暗い空を見上げたとき、ふっと桶が軽くなる!ジャンでした。これが出会いでした。
もう一つは、テナルディエの息子ーストリートチルドレンのガブローシュが、犯罪者の父親を助け出し、明るい所で自分と気付いてくれるだろう親を見ると、その男は目の前の浮浪児が息子だとは最後まで気づかず。それを知った子の、瞬時の慟哭、次の瞬間にはアバヨッと街の暗闇に消えていく。私彼の暮らしたバスチーユ近くで滞在したことありました。パンの高騰(史実)で、パンがないならケーキを食べればいいのにと妃が言った時代の、悲惨な人々という意味の物語ですが、ユーゴー自身の政治的葛藤も描いた力作なんでしょう。
私はミューカルにも詳しくはないのですがブロードウエーで観たオペラ座の怪人のファントムも、秀樹の声で聴いてみたかったです!