「どんなに批判されても、厳しい指導はやめない」と断言する平林氏。(略)なぜ彼女はここまで毅然とマナーを指導できるのか。じつは彼女の“マナー”の裏には闇深い半生が隠されていたーー。
「私、両親がいないような状態だったのです。母は幼いころからいなくて、父は自称『女が離さない、いい男』。全然家に帰ってきてくれませんでした。小学校低学年のころには、自殺未遂でもすれば父が『手のかかる子だ』と思い直して家に帰ってきてくれるんじゃないかと思い詰めるほどでした。(略)」
現代風にいえば“ネグレクト”。小学4年生のころには、親戚の家を転々とする生活が始まった。
「歳の離れた姉の世話にならなきゃいけない時もあったのですが、姉の彼氏に疎ましく思われ、その後は近所の叔父や叔母の家を転々とする日々でした。そういう生活だと、子供ながらに他人の顔色を窺い、気を遣うんですよ」
だが、けっして我慢するだけの子供ではなかった。
「たとえば『お金がないからチョコが買えない』だけじゃなくて、そこから『どうすればお小遣いをもらえるか』という問題意識を持ちました。指示待ち人間にならず、自主的な思考が育まれました。(略)」
多くの“他人”に囲まれる過酷な生育環境が、平林氏に“生き抜く技術”としてマナーを身につけさせたのだ。その後、マナー講師として身を立てるまでにもひと波乱。
「高校卒業後、金融会社に勤めました。仕事が終わると、その日のうちにお茶やお花、お着物、話し方などのお稽古に通い、給料はすべてお稽古に費やしました。親の躾を受けてこなかったものですから、心細かったのです」
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